翻訳と辞書
Words near each other
・ フランチェスコ・マンフレディーニ
・ フランチェスコ・ミンベッリ (駆逐艦)
・ フランチェスコ・モゼール
・ フランチェスコ・モデスト
・ フランチェスコ・モリエーロ
・ フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ
・ フランチェスコ・モーキ
・ フランチェスコ・モーゼル
・ フランチェスコ・ラナ・ディ・テルツィ
・ フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィ
フランチェスコ・ランディーニ
・ フランチェスコ・リベッタ
・ フランチェスコ・ルジェッリ
・ フランチェスコ・ルテッリ
・ フランチェスコ・ルナルディーニ
・ フランチェスコ・レディ
・ フランチェスコ・ロニョーニ
・ フランチェスコ・ロージ
・ フランチェスコ・ローディ
・ フランチェスコ・ヴェッリ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フランチェスコ・ランディーニ : ミニ英和和英辞書
フランチェスコ・ランディーニ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フランチェスコ・ランディーニ : ウィキペディア日本語版
フランチェスコ・ランディーニ[ちょうおん]

フランチェスコ・ランディーニFrancesco Landini, またはランディーノLandino)は、イタリア作曲家オルガニスト、歌手、詩人、楽器製作者。14世紀後半で最も有名かつ尊敬された作曲家の1人で、イタリアではことに有名だった。
==生涯==
ランディーニの生涯の詳しいことはよくわかっていないが、いくつかのことははっきりしていて、さらに文献(とくにフィレンツェの)などから、その概略は形になってきた。1325年頃の生まれの年代記作者フィリッポ・ヴィッラーニFilippo Villani)による1385年のフィレンツェ市民に関する本が、ランディーニの生涯に関するデータの大本である。
生まれはフィレンツェのようである。しかし、ランディーニの甥か姪の息子にあたる人文主義者のクリストフォロ・ランディーノは、ランディーニの出生地をフィエーゾレとしている。父親はジョット派の著名な画家ヤコポ・デル・カセンティーノだった。子供の頃、天然痘にかかって失明したことで、ランディーニは早くから音楽に打ち込むようになり、リュートなど多数の楽器演奏、歌、詩作、作曲を習得した。ヴィッラーニはその年代記に、ランディーニがリュートとプサルタリーPsaltery)を結合させた「syrena syrenarum」という楽器(バンドゥーラ (Bandura) の先駆と考えられている)などを発明したと書いている。
さらにヴィッラーニによると、ランディーニは1360年代の数年間ヴェネツィアに滞在していたキプロス王から月桂冠を授けられたという。おそらくランディーニは1370年以前に何度か北イタリアで過ごしていたようだ。ランディーニの音楽のいくつかがその証拠で、たとえば、あるモテット1368年から1382年までヴェネツィアのドージェを勤めたアンドレア・コンタリーニに献呈されている。さらに、ランディーニの作品のことが北イタリアの文献によく出てくる。
1361年、ランディーニはフィレンツェのサンタ・トリニタ修道院のオルガニストに雇われた。1365年以降はサン・ロレンツォ聖堂Basilica of San Lorenzo)で働いた。ヴィッラーニによると、ランディーニは当時の政治的・宗教的論争に深く関わったが、フィレンツェ当局の恩恵は受け続けていたようである。ランディーニはトレチェント音楽の作曲家の多くと面識があり、その中でもロレンツォ・ダ・フィレンツェはサンタ・トリニタ修道院で一緒だった。また、アンドレア・ダ・フィレンツェAndrea da Firenze)とは1370年代に知り合った。1975年頃かあるいはそのすぐ後、アンドレアはフィレンツェの僕会(下僕会Servite Order)のオルガン製作の相談役にランディーニを雇った。楽器を調律する3日間に二人が飲んだワインの領収書が残っている。ランディーニは1379年サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂Santissima Annunziata, Florence)で新しいオルガン製作を助け、1387年にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のオルガン建造計画に励んだ。
当時の作家たちの多くが、作曲家のみならず歌手、詩人、オルガニスト、さらに情熱的に献身的なフィレンツェ市民としてのランディーニの名声を証言している。音楽で聴衆を感動させるというランディーニの評判はかなり高く、作家たちは「その旋律の甘美さはまるで胸から心臓を飛び出させるほど」と記している〔Richard H. Hoppin, ''Medieval Music'', p. 455. New York, W.W. Norton & Co., 1978. ISBN 0-393-09090-6〕。
ランディーニは死後、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂に埋葬された。その墓石は19世紀までは行方がわからなかったが、現在では再び教会に展示されていて、そこにはポルタティフ・オルガン(:en:Portative organ)らしきものを持ったランディーニの姿が描かれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランチェスコ・ランディーニ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.