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フランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク : ミニ英和和英辞書
フランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

フランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク ( リダイレクト:フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ ) : ウィキペディア日本語版
フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ[ぶる]

フランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(, 1863年12月18日 - 1914年6月28日)は、オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者エスターライヒ=エステ大公()。サラエヴォでセルビア人民族主義者によって暗殺された(サラエボ事件)。
== 生涯 ==

=== 皇位継承者指名と結婚 ===
1863年オーストリア皇帝フェルディナント1世の甥であったカール・ルートヴィヒ大公両シチリアフェルディナンド2世の長女マリア・アンヌンツィアータの長男としてグラーツで生まれた。
フランツ・フェルディナントはオーストリア皇族であったが、従兄のルードルフ皇太子がいたため、皇位継承の圏外にあった。しかし1889年1月にルードルフ皇太子が情死したため、にわかに皇位継承候補者となった。継承権を放棄したフランツ・カール大公が自身の長男の継承を支持したことにより、フランツ・フェルディナントが伯父フランツ・ヨーゼフ1世の皇位継承者として認定されるようになった。
1892年、約1年の歳月をかけて世界一周の見聞旅行に出かけ、その途上で日本を訪れている。この時、フランツ・フェルディナント大公は日本の風物や伝統文化などを詳細に手記に記しており、これは後にまとめられて出版されている。

オーストリア皇室では、フランツ・フェルディナント大公が皇位継承者として認定されるようになるとさっそく結婚話を進めるが、大公にはボヘミアの伯爵家出身でテシェン公フリードリヒの妃イザベラの女官であったゾフィー・ホテクという恋人がいた。当初これは秘密の恋であったが、ある日フランツ・フェルディナントが蓋付き腕時計をテシェン公家に忘れた。当時腕時計の蓋の裏に意中の女性の肖像画を描くのが流行しており、忘れ物を預かったイザベラは、彼が足繁く通うのは長女マリア・クリスティーナに気があるからだと信じて時計の蓋を盗み見たため、ゾフィーとの恋が露呈した。
しかし彼は数少ない皇位継承者であり(ハプスブルク=ロートリンゲン家傍系の大公はテシェン公を含めて数多くいたが、血筋の近いオーストリア皇帝フランツ1世の男系子孫の男子は限られていた)、皇室は次期皇位継承者がチェコ人の女官のような身分の低い女性と貴賤結婚するのに大反対したが、2人はあくまで意思を曲げなかった。このためゾフィーが皇族としての特権をすべて放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせないことを条件に結婚を承認された。ただし、フランツ・フェルディナントが将来皇帝に即位した後もこの誓約を守り続ける意志があったかは定かではない。1900年7月1日に2人の結婚式は挙行された。しかしその後もゾフィーは冷遇され続け、公式行事においては幼児を含む全ての皇族の末席に座ることを余儀なくされていた。またそれ以外の公の場(劇場など)でも大公との同席は許されなかった。このような複雑な経緯もあって、フランツ・フェルディナントは「皇太子」()とはあまり呼ばれず、「皇位継承者」()と遠回しな呼ばれ方をされるようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ」の詳細全文を読む




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