翻訳と辞書
Words near each other
・ フリエ
・ フリエタ・ベネガス
・ フリエタ・ラスカノ
・ フリエッタ・ベネガス
・ フリエル
・ フリエール
・ フリオニール
・ フリオル
・ フリオ・アルカ
・ フリオ・アルベルト・モレノ
フリオ・アルベルト・モレーノ
・ フリオ・イグレシアス
・ フリオ・ウルキホ
・ フリオ・エルナン・ロッシ
・ フリオ・オラルティコエチェア
・ フリオ・カロ・バロハ
・ フリオ・カロ・バローハ
・ フリオ・クルス
・ フリオ・グロンドーナ
・ フリオ・コルタサル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フリオ・アルベルト・モレーノ : ミニ英和和英辞書
フリオ・アルベルト・モレーノ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリオ・アルベルト・モレーノ : ウィキペディア日本語版
フリオ・アルベルト・モレーノ[ちょうおん]

フリオ・アルベルト・モレーノ・カサスJulio Alberto Moreno Casas1958年10月7日 - )は、スペインアストゥリアス州出身の元サッカー選手スペイン代表であった。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)。
== 経歴 ==

=== クラブ ===
アストゥリアス州カンデスに生まれたが、アトレティコ・マドリードの下部組織で育った。若手時代は出場機会を得るのに苦労し、1979-80シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)のレクレアティーボ・ウェルバにレンタル移籍した。1980年にアトレティコに復帰すると、正式にトップチームに昇格し、1980-81シーズンと1981-82シーズンにはリーグ戦計59試合に出場した。
1982年にFCバルセロナに移籍し、在籍した9シーズンで9個のタイトルを獲得した。1982-83シーズンにはコパ・デル・レイコパ・デ・ラ・リーガのカップ戦2冠を達成し、1983年にはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝。1984-85シーズンには中心選手としてプリメーラ・ディビシオン(1部)優勝に貢献し、1985-86シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは、準決勝のユヴェントスFC(イタリア)戦(1-0)で決勝点を挙げた。決勝のFCステアウア・ブカレスト(ルーマニア)戦にも先発出場したが、PK戦で敗れて準優勝に終わった。1988年にヨハン・クライフが就任すると、エル・ドリーム・チームでは大きく出場機会を減らし、1988-89シーズンからの3シーズンで計29試合しか出場できなかった。特に1990-91シーズンは3試合の出場に終わり、クラブはリーグ優勝を果たしたが、フリオ・アルベルトはシーズン終了後に現役引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリオ・アルベルト・モレーノ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.