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フリオ・セサール・ロメロ : ミニ英和和英辞書
フリオ・セサール・ロメロ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリオ・セサール・ロメロ : ウィキペディア日本語版
フリオ・セサール・ロメロ[ちょうおん]

フリオ・セサール・ロメロ(Julio César Romero, 1960年8月28日 - )は、パラグアイ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。ロメリートRomerito)の愛称で親しまれた。
パラグアイ史上最高の選手のひとりである。2004年にはペレによってFIFA 100に選出された。
== 来歴 ==

=== 選手時代 ===
1977年に地元のスポルティーボ・ルケーニョからデビュー。1979年にはU-20パラグアイ代表としてFIFAワールドユース選手権に出場し、同い年のディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)とともに大会最高の選手のひとりとみなされた。同年にはパラグアイA代表としてコパ・アメリカ1979に出場し、パラグアイは26年ぶりの優勝を果たした。1980年には北米サッカーリーグ(NASL)のニューヨーク・コスモスに移籍して巨額の年俸を得て、カルロス・アルベルトフランツ・ベッケンバウアーなどの偉大な選手たちとともにプレーした。1984年にはブラジル・セリエAフルミネンセFCに移籍し、ボーラ・ジ・プラッタを受賞。翌年にはクラブをセリエA優勝に導いてサポーターに愛され、南米年間最優秀選手賞を受賞した。1986 FIFAワールドカップ・南米予選ではパラグアイの28年ぶり(7大会ぶり)の本大会出場の立役者となり〔World Cup 1986 qualifications by Karel Stokkermans RSSHF〕〔World Cup 1986 finals by Karel Stokkermans RSSHF〕、メキシコで開催された本大会ではファーストラウンドのイラク戦と地元メキシコ戦で得点した。1980年代後半には短期間だけスペインのFCバルセロナやメキシコのプエブラFCに在籍し、1990年にパラグアイに帰国した。古巣スポルティーボ・ルケーニョ、オリンピアクラブ・セロ・コラなどでプレーし、チリのデポルテス・ラ・セレーナにも在籍した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリオ・セサール・ロメロ」の詳細全文を読む




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