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フリギア(, )は、古代アナトリア(現在のトルコ)中西部の地域名・王国名である。フリュギア・プリュギアとも表記する。 ()は、インド・ヨーロッパ語族のフリギア語を話す人々で、おそらくヨーロッパから紀元前12世紀頃移住してこの地域を支配し、紀元前8世紀に王国を建てた。しかし紀元前7世紀末頃キンメリア人の支配に屈し、その後隣接するリディア、さらにペルシャ、アレクサンドロス3世(大王)とその後継者たち、そしてペルガモン王国に支配されたのち、ローマ帝国領内の地域名として名を残した。フリギア語は6世紀頃まで残った。 ==神話== フリギアはギリシア神話にもたびたび登場する。またホメロスの「イーリアス」などにも、神話的なフリギアの歴史が登場する。 神話中のフリギア王はゴルディアースまたはミダースを名乗っている。またタンタロス(リディア王ともいう)をフリギア王とする伝承もある。トロイ戦争より前に、貧しい農夫ゴルディオス(またはゴルディアース)が神託に従って初代の王となったという。フリギア人はテルミッソス(古くはフリギア、後にガラティアとなった)に祀られたサバジオス(Sabazios、ギリシャ人はゼウスに当てる)の神託に従っていた。彼らは神託により、神殿に初めて牛車で来た男を王とした。それがゴルディアス(またはゴルディオス、ゴルディウス)である。彼は車を奉納して縛りつけた。これが「ゴルディアスの結び目」であり、後のアレクサンドロス3世(大王)が切った話で有名である。 ゴルディアスはアナトリアを縦貫する主要道(後のペルシャの「王の道」)に臨んで首都ゴルディオン(またはラテン語でゴルディウム)を建設した。 2代目とされるミダス王はいろいろな神話に登場する。 まず、トラキアにいたミダスはシレノスを助けたことでディオニューソスに感謝され、触れたものすべてを黄金にする能力をもらった。しかし何でも黄金にする手に困り、この「けがれ」をパクトロス川で払うためにアナトリアにやってくる。彼は川に黄金を残し(砂金の起源説話)たのち、ゴルディアス王と女神キュベレに養子として認められ、次の王となる。 また別の話では、ミダスはアポローン(竪琴)とパーン(パンの笛)の音楽合戦の審査員に入ったが、パンの勝ちとしたため、怒ったアポローンにロバの耳を付けられたという。 ホメロスによれば、フリギアは初めサンガリオス川(現在のサカリヤ川)のほとりに建設された。 トロイアの王プリアモスは若い頃、フリギアがアマゾンに襲われたときにこれを助けた。プリアモスの妻ヘカベは、サンガリオス川沿いに住んだフリギア王デュマスの娘とされる。 そののちフリギアはトロイア戦争でトロイアに援軍を送ったが、これはアスカニオスとポルキュスに率いられていた。彼らはフリギアのアスカニア地方の出身とされる。またデュマスの息子でヘカベの兄に当たるアシオスもフリギアの貴族であり、やはりトロイアで戦った。 ホメロスの記述ではアスカニアとサンガリオス川沿いのフリギア人の関係は明らかでなく、別の王を戴いていたようにも考えられている。 ==歴史== は紀元前12世紀頃アナトリアに入ったとみられる。これはちょうど、アナトリア中央部のヒッタイト帝国が崩壊した頃に当たるが、フリギア人が直接それに手を貸したか、それともただ混乱に乗じただけかは定かでない。 ホメロスによれば、フリギアはサンガリオス川のほとりに建設され、のちにはハリュス川(現在のクズルウルマク川)の西、ミシアとリディアの東に位置するとされた。 紀元前8世紀のアッシリアの記録には「(Mushki)の王ミタ(Mita)」なる人物が出てくるが、これはフリギアのミダス王をさすと考えられている。ムシュキはトラキア西部(のちのマケドニア)にいたという部族モスキ(Moschi)と同じとする考えもある。ムシュキはメソポタミアに侵入したこともあり、紀元前709年の記録でミタ王は、アッシリアのサルゴン2世の同盟者とされている。この時代には磨製土器と呼ばれる特異なフリギア製土器が知られる。 フリギアはしばらく強力な王国として栄えたが、最後はリディアに降った(紀元前7世紀)。紀元前8~7世紀にかけて、ゴルディアスとミダスを交互に名乗る王のもとに、ギリシャや東方の国々と緊密な貿易関係を維持した。アナトリア東部の覇権はしばしば変化したが、フリギアはそれらと共存できたようである。 紀元前8世紀から7世紀頃のキンメリア人のアナトリア侵略によって、独立フリギアの歴史は終わった。伝説では最後の王ミダスはキンメリア人の攻撃に遭い自害したという。またヘロドトスによれば、首都ゴルディオンは紀元前696年、キンメリア人に破壊されたという。ゴルディオンは紀元前675年頃に激しく破壊されたことが発掘でも明らかになっている。ここでは有名な「ミダス王の墓」(実際にミダスのものかどうかはわからない)が見つかっており、これは巨大な墳丘の下に木郭があり、さまざまな副葬品を含む。 ゴルディオンには後にも多くの建設が行われており、これは紀元前6世紀のリディア王アリュアッテスによるのではないかといわれる。 その後も弱小王国としては存続し、美術や文化は栄えた。キンメリア人はアナトリアに留まったが王国は創らなかった。紀元前620年頃リディアがキンメリア人を撃退し、フリギアはリディア帝国に組み込まれた。また以前のフリギア東部は紀元前585年にメディア王国の手に落ちた。 ヘロドトスによるとアルメニア人は、紀元前7世紀頃ヴァン湖周辺に移住したフリギア人の植民者だという。ただし言語学的にはフリギア語とアルメニア語の関係ははっきりしていない。 リディアは紀元前6世紀のクロイソス王の代にフリギアを完全に併呑した。しかしクロイソスは紀元前546年ペルシャのキュロス大王に敗れ、フリギアもペルシャに降った。次いでダレイオス1世(紀元前522年即位)は古くからの貿易道を「王の道」とし、総督(サトラップ)を置いて支配した。フリギアの総督府はダスキュリオンに置かれた。 これ以後、フリギアは文化的独自性を失い、ヘレニズムおよびローマの時代にも受動的になった。 紀元前333年、アレクサンドロス大王はゴルディオンを通り掛かり、サバジオス神殿にある「ゴルディアスの結び目」を切った。「この結び目を解いたものはアジアの支配者となる」という言い伝え(おそらくこれ自体、大王の事績にからめて喧伝されたのだろう)があった。大王によりフリギアはヘレニズム世界の一部となったが、彼の死後、後継者たちは特にアナトリアの覇権をめぐり争うことになる(後継者戦争)。 その後ヨーロッパから侵入したガリア人がフリギア東部を支配し、ここはガラティアとなった。まもなくゴルディオンはガリア人によって破壊され、歴史から消え去る。 紀元前188年にはペルガモン王国の支配下に入った。さらに133年にフリギア西部はローマ帝国に併合された。 ローマはフリギアを分割し、北東部はガラティア属州、西部はアシア属州として、正式名としてのフリギアは消えた。ただし通称としては1453年、東ローマ帝国の崩壊まで使われる。 ==文化== フリギアは古くから独自の文化で知られ、ギリシャ神話などを通じてギリシャ・ローマの文化に大きな影響を与えた。 有名な女神キュベレは、元来フリギアの山岳地帯で「山の母」(大地母神)として信仰されていた。フリギア風の姿では長いベルト付きドレスを着、長い帽子と全身を覆うベールをかぶっている。後にギリシャの彫刻家アゴラクリトスにより、ライオンを従えて片手にタンブリンのような太鼓を持つ姿で表現され、この姿でギリシャ、またローマでも信仰された。 キュベレの息子にして愛人とされる「死と再生の神」、アッティスも、キュベレとともに信仰された。 またフリギア人は、馬に乗った「父なる天空神」サバジオスを祀った。ギリシャ人はサバジオスをゼウスと習合したが、一方でローマ時代に至るまで騎馬関係の神としても信仰された。 フリギアからは音楽がギリシャに伝えられ、フリギア旋法の名が現代にまで伝わる。 2本のパイブを持つ管楽器アウロスもフリギアに由来する。神話のミダス王は、オルペウスから音楽を教わったというし、「ロバの耳」の話も音楽に関係がある。 フリギアの名は先の曲がった三角帽子「フリギア帽」でも知られる。ギリシャの肖像では、フリギア人に限らず、トロイアの王子パリスもフリギア帽をかぶっており、また東方由来のミトラス神もフリギア帽をかぶった姿で信仰された。フリギア帽はローマ時代には解放奴隷のかぶりものとされ、近代に至って自由を求める革命家の象徴となった。 フリギア語はギリシャ文字に似たフェニキア文字系アルファベットで書かれ、王国時代(古フリギア語)およびローマ時代(新フリギア語)の碑文が知られるが、いくつかの単語以外はほとんど解読されていない。印欧語に属すことは知られているが、他の言語との関係はよくわからない。そのためフリギアに関する情報はほとんどギリシャの記録に頼らざるをえない。 ==外部リンク== *Phrygian Period in Anatolia *1911 Encyclopedia Britannica 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリギア」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Phrygia 」があります。 スポンサード リンク
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