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フリッツラー陸軍飛行場(フリッツラーりくぐんひこうじょう、ドイツ語:Heeresflugplatz Fritzlar、英語:Fritzlar Air Base )は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州フリッツラーに所在する軍用飛行場。 == 歴史 == === ナチス・ドイツ期 === 再軍備を果たしたナチス・ドイツは、1935年から1938年にかけてドイツ国防軍空軍のためにエーダー川の南東に300エーカーの面積を持つ大規模飛行場を準備した。飛行場には第一次世界大戦の戦闘機パイロットであるオズヴァルト・ベルケ(:de:Oswald Boelcke)を記念して命名された。1937年9月17日に完工式を迎え、1938年3月から戦闘機部隊の基地として、さらに1944年からは夜間戦闘機部隊が配置される。第54戦闘航空団「トーテンコップ」司令部は3月14日に、第1戦闘群は3月16日に到着しハインケル He 111爆撃機を装備した。第二次世界大戦が勃発するとフリッツラーから出撃し、本拠地には戻ってこなかった。 1941年8月から1944年まで飛行場にはデッサウアー飛行機・自動車工業株式会社の第二事業所がおかれた。同社は強制労働に対応するため飛行場とフリッツラー駅の間に仮小屋を建設する。1943年10月1日に新型のユンカース Ju 352輸送機の試作機が本飛行場にて初飛行する。戦局悪化により資材不足に陥る1944年までに44機が生産された。1943年5月17日のチャスタイズ作戦による上流のエダー・ダムへの攻撃の影響は軽微であった。若干の小屋は損害を受けたが航空機生産に不適であることが解ったため、1944年10月にユンカース社はフリッツラー飛行場から撤収した。 1944年9月から1945年3月まで第1夜間戦闘航空団第3群(III./NJG 1)が配置され、メッサーシュミット Bf110戦闘機とユンカース Ju 88夜間戦闘機がフリッツラー飛行場に配備された。後に連邦大統領となるヴァルター・シェールはこの部隊に所属した若いパイロットの一人であった。1945年3月に部隊は第101夜間戦闘航空団と交代した。しかし、燃料不足のため新規パイロット訓練は不可能となり、教官達は実質的には戦闘飛行隊に編入された。 飛行場は実質的に損害を受けていない施設と航空機が残されており、1945年3月30日にアメリカ合衆国陸軍第9歩兵師団の分遣隊が占領する。1945年4月12日から13日にかけて、アメリカ合衆国軍の第404および第365戦闘航空群が到着し、リパブリック P-47戦闘機を集成してエルベ川へ前進する地上部隊を支援した。ドイツ降伏後、両部隊は第9防空軍の傘下となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリッツラー陸軍飛行場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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