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フリッツ・ジムロック : ミニ英和和英辞書
フリッツ・ジムロック[ろっく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ロック : [ろっく]
  1. (n,vs) (1) lock 2. (2) rock 3. (P), (n,vs) (1) lock/(2) rock

フリッツ・ジムロック : ウィキペディア日本語版
フリッツ・ジムロック[ろっく]

フリッツ・ジムロックFritz Simrock)ことフリードリヒ・アウグスト・ジムロックFriedrich August Simrock, 1837年1月2日 ボン - 1901年8月20日 ローザンヌ近郊ウーシー)は、ドイツ楽譜出版社経営者である。
祖父ニコラウスより会社の経営権を引き継ぎ、ヨハネス・ブラームスアントニーン・ドヴォルジャークの作品のほとんどを出版した。ブラームスの作品16から作品120までを出版した〔Simrock (firm) entry at ''New Grove Dictionary of Music & Musicians''〕だけでなく、個人的にもブラームスと親交を結び、ブラームスの夏ごとのバカンスに同行してイタリアに行った〔Johannes Brahms & Elisabeth Herzogenberg, ''Johannes Brahms: The Herzogenberg Correspondence'' Ed. Max Kalbeck, transl. Hannah Bryant. New York: Da Capo Press (1987): 310,
* footnote〕。ブラームスのお陰で若い頃のドヴォルザークはジムロックからチャンスを与えられた〔Grove, ibid.〕。ジムロックは、ブラームスにはたいてい高い報酬を支払っていた〔David Brodbeck, ''Brahms: Symphony No. 1'' New York: Cambridge University Press (1997): 28. "In his next letter, dated 25 April , Simrock readily agreed to Brahms's request for the princely sum of 5000 Talers (15,000 Marks)."〕が、ドヴォルザークに対しては、その管弦楽曲の出版を渋々引き受けていた〔Dvořák Cello Concerto By Jan Smaczny, page 11 Cambridge University Press, 1999〕。
ジムロックは、名音楽家であったヨーゼフ・ヨアヒム夫妻の生活にも深くかかわっていたために、ヨアヒムから、妻を誑かした浮気相手と信じ込まれるようになった。それについてブラームスの書いた有名な「長い手紙が、ヨアヒムの離婚訴訟において証拠として引用されることになった〔Robert Anderson, "Brahms in Brief" ''The Musical Times'' Summer (1998): 69〕。」
== 註釈・参考文献 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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