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フリータウン : ミニ英和和英辞書
フリータウン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリータウン : ウィキペディア日本語版
フリータウン[ちょうおん]

フリータウンFreetown)は、シエラレオネ共和国首都。同国最大の都市である。
人口2010年時点で約120万人。同国南西部のフリータウン半島に位置し、シエラレオネ川の西に大西洋を臨む港湾都市。埠頭であるクイーン・エリザベス2世・キーはフリータウン最大の公共交通機関の要所である。イギリス解放奴隷建設した欧米型の都市で、かつて西アフリカの経済や文化の中心地だった。
== 歴史 ==
1787年グランビル・シャープを中心にトマス・クラークソンウィリアム・ウィルバーフォースら奴隷制度廃止主義者らにより、奴隷貿易廃止促進協会が結成され、「自由の国」をスローガンとしたイギリスの解放奴隷の黒人らによるシエラレオネの入植計画が始まった。グランビル・シャープは解放奴隷の町建設の為、現地部族テムネ族トム王から土地を貰いフォーラー・ベイ付近グランビルタウン(後にクラインタウンと改名)の入植するが、テムネ族のトム王の後継者ジミー王による攻撃やマラリアなどの病気により多くの入植者が死に、失敗していた。1791年グランビル・シャープの後継者として、奴隷貿易廃止促進協会のメンバーでもあった、アレクサンダー・ファルコンブリッジ指導の下、入植失敗したグランビルタウンはクラインタウンと改名し、再建設されるがこれも結局成功しなかった。
1792年トマス・クラークソンの弟で、イギリスの奴隷制度廃止を推進するシエラレオネ会社のエージェントであったイギリス軍人ジョン・クラークソン中尉により、イギリス北アメリカカナダノヴァスコシア州)やジャマイカなどの奴隷制度から解放され自由になった黒人たちの移住地として再びシエラレオネでフリータウンは建設された。兄トマスの後を引き継ぎ、ジョン・クラークソンはアメリカ独立戦争で、カナダのノヴァスコシア州に移されていたイギリスの為に戦った元奴隷の黒人達をシエラレオネに移住させる計画をしていた。トマス・ピーターズを中心にバプテストの牧師デヴィッド・ジョージメソジストの牧師モーゼス・ウィルキンソンらノヴァスコシアの解放奴隷の黒人らはフリータウン植民地の代表的な創立者であり、彼らはフリータウンに移住する為に、ノヴァスコシアの解放奴隷の黒人達に対して入植の募集をし、カトー・パーキンスジョセフ・レオナルドの様なアメリカの奴隷反対主義者も支援していた。1822年に建設されたシエラレオネの隣国リベリアの首都モンロビアもアメリカの解放奴隷の黒人により、建設された入植地であるが、フリータウンは其れよりも古い解放奴隷の入植地であった。ノヴァスコシア州から入植しに来た黒人達は当初、フリータウンのセトラータウンと呼ばれる地域に移住し、彼らはノヴァスコシアン・セトラーズと呼ばれていた。1800年になると、ジャマイカからノヴァスコシアに移されていた逃亡奴隷マルーン550人もフリータウンに移住しマルーンタウン地域を設立した。
1997年シエラレオネ内戦が激化。当時政権にあったアフマド・テジャン・カバーが内戦により海外亡命したため、暫定政権がフリータウンを支配。暫定政権は反政府軍であるRUFとも手を結び、それまで内戦の影響が比較的少なかったフリータウンにもRUFが侵入。「分捕り作戦」と称したRUFによる略奪作戦が始まり、RUFはフリータウン市民の家を無差別襲撃、あらゆる財産を略奪した。
一般市民は暫定政権への協力を拒み、RUFに抵抗した。
しかし暫定軍事政権と武力をもって戦ったのはECOMOGであった。ECOMOGは暫定軍事政権を崩壊させ、RUFを駆逐しカバー大統領が復権した。
1999年1月、再び息を吹き返したRUFがフリータウンに侵入。殺人・略奪・強姦の限りをつくした。ECOMOGはRUFへの攻撃において、RUFと一般市民の区別がつかなかったため結果的に無差別攻撃となってしまい、多くの市民が巻き込まれて殺害され、フリータウンのコノート病院の前は死体の山となってしまった。
その後2週間にわたり戦闘と殺戮が続いたが、ECOMOGが再びRUFを駆逐した。
1999年、それまで無関心であった国際社会が紛争ダイヤモンド問題に目を向け始めたことをきっかけに、ようやくシエラレオネ内戦の調停に介入しロメ和平合意が行われたが、政府が新政権にRUFを受け入れ、RUF指導者・議長であるアハメド・フォディ・サンコーを副大統領としたため、歪な平和が訪れた。
同年、サンコー議長はフリータウンの自宅で抗議する市民らによって拘束されシエラレオネ警察に引き渡された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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