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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
フリートークは(1985年4月8日 - 没年不明)日本の競走馬、繁殖牝馬。 1988年に中央競馬でデビューし、同年のフラワーカップとクイーンステークスに勝利した。主戦騎手は増沢末夫。 == 経歴 == 1985年、北海道早来町の社台ファーム早来に生まれる。父リアルシャダイは競走馬時代ドーヴィル大賞優勝などの実績を挙げたのち日本へ種牡馬として輸入されており、本馬はその初年度産駒であった。母ダイナフリートは10戦0勝という成績である〔『優駿』1988年5月号、pp.140-141〕。幼駒の頃は細身の馬体で、同期生産馬のスカーレットリボンがA級の評価だったのに対し、本馬はB級と見なされていた〔。のち社台グループの一口馬主クラブ・社台レースホースの出資募集馬となったが、口数も余っていたとされる〔『競馬SLG名牝ファイル』pp.132-133〕。なお、馬名は母ダイナフリートからの連想で、出資者が考案したものである〔。 4歳となった1988年1月末にデビュー。初戦の2着を経て、翌週連闘で臨んだ未勝利戦で初勝利を挙げた。さらに条件戦で2着となり、ここまでダート競走を使われ続けていたが、騎手を務めていた増沢末夫が調教師の鈴木康弘に「芝でも走る」と進言したこともあり、4戦目の重賞・フラワーカップで芝の競走に初出走した〔。8番人気の評価だったが、レースでは2番手集団追走から最後の直線で楽に抜け出し、2着マイネレーベンに2馬身半差をつけて勝利。一躍、牝馬クラシック初戦・桜花賞への有力候補となった〔。 4月10日に迎えた桜花賞は確固たる本命馬不在といわれ、当日6番人気のフリートークを含む上位人気6頭ほどまでは勝機充分とみられていた。レースでは5番手前後を進み直線で抜け出しを図ったが、勝ったアラホウトクから4馬身弱の差で3着となった〔『優駿』1988年6月号、pp.132-134〕。牝馬クラシック二冠目の優駿牝馬(オークス)では桜花賞同様に6番人気の支持から4着となる。 夏の休養を経て、秋は牝馬三冠最終戦・エリザベス女王杯を目標に、クイーンステークスから始動。単枠指定され1番人気に推されたフリートークは、1000メートル通過64秒2という「超スローペース」を2番手で追走、最後の直線で抜け出して重賞2勝目を挙げた〔『優駿』1988年12月号、p.126〕。父リアルシャダイ、母の父エルセンタウロという血統構成から、遅咲きの長距離血統ともみられ、この勝利によりエリザベス女王杯への最有力馬と見る向きも生まれたが〔『優駿』1988年12月号、p.85〕、その後の調教中に躓いて膝を負傷し、戦線を離脱〔。そのまま復帰することなく競走生活から退いた。 その後は故郷・社台ファーム早来(のちノーザンファームと改称)で繁殖牝馬となったが、ミスターシービーと交配された初年度は流産、3年目にも不受胎となるなどしており、1996年1月をもって用途変更となった〔ジャパン・スタッドブック・インターナショナルの本馬項目より(要ログイン)〕。出産したのは3頭、そのうち競走馬となったのは2頭のみだったが、うち1頭の牝駒シングライクトークは中央競馬で7勝を挙げてオープンクラスまで昇り、さらにその孫・シングウィズジョイが重賞勝利馬となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリートーク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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