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フリードリッヒ・フォン・ゲルトナー : ミニ英和和英辞書
フリードリッヒ・フォン・ゲルトナー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリードリッヒ・フォン・ゲルトナー : ウィキペディア日本語版
フリードリッヒ・フォン・ゲルトナー[ちょうおん]

フリードリヒ・フォン・ゲルトナー(Friedrich von Gärtner、1791年12月10日 - 1847年4月21日)はドイツ建築家
建築家の息子であり、ミュンヘン・アカデミーで学習した後、短い期間ヴァインプレンナーとともに働き、その後パリに渡りペルシエとフォンテーヌとともに働いた。
1805年-1807年の間はイタリアに、1818年-1820年はオランダと英国に滞在した。その後ミュンヘン・アカデミーで講座を持った。
1828年、イタリアへの二度めの旅行の際、バイエルンルートヴィヒ1世にみいだされ、次第に、レオ・フォン・クレンツェと並ぶ、王のお気に入りの建築家となった。ゲルトナーの特色はドイツ人のいうルントボーゲンシュテイル、すなわちイタリア・ロマネスクのあるいはイタリア1400年代様式であるところの円形アーチを用いた様式である。このポスト古典主義様式を好んだのは、ゲルトナーよりもむしろ王ルートヴィヒであるといわれる。
ミュンヘンではゲルトナーは1829年から1840年にかけて建てたルートヴィヒ教会(Ludwigskirche)、1840年の州立図書館、1835年から1840年にかけて建てた大学、といういずれもルートヴィヒ通りにある三つの建物を設計し、またこの通りの南端には、フィレンツェロッジア・ディ・ランツィの模倣でありトスカーナ・ゴシック様式の試みでもあるフェルトヘルンハレ(1840-1841)を建設した。1835年にはゲルトナーはアテネにおり、そこで新しいギリシャ王、すなわちルートヴィヒ1世の息子オソン1世の宮殿を設計した。
==参考文献==

*K・Eggert、Friedrich von Gartner、Baumeister Konig Liduwings I 1993.



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリードリッヒ・フォン・ゲルトナー」の詳細全文を読む




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