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フリードリッヒ・ミッシャー : ミニ英和和英辞書
フリードリッヒ・ミッシャー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリードリッヒ・ミッシャー ( リダイレクト:フリードリッヒ・ミーシェル ) : ウィキペディア日本語版
フリードリッヒ・ミーシェル[ちょうおん]

ヨハネス・フリードリッヒ・ミーシェル(Johannes Friedrich Miescher, 1844年8月13日 - 1895年8月26日)は、スイス生理学者生化学者医師である。1869年に、細胞核中に核酸を発見してヌクレインと命名し、核酸研究の始まりとなった。
== 生涯 ==
バーゼルで出生。父親と叔父はバーゼル大学解剖学教授であった。少年期のチフスで軽い聴力障害が残った。バーゼル大学で医学を、1865年にゲッティンゲン大学アドルフ・ステッケル有機化学を学び、病気による一時休学をはさんで1868年に学位を得た。聴力の懸念から医化学の分野に進み、テュービンゲン大学フェリクス・ホッペ=ザイラーの指導のもと白血球を研究した。病院から包帯などを入手して研究材料を得るのは容易であったが、細胞を壊さずに分離するのが困難であったことから、化学的な溶解方法を開発し、細胞を分離してさらに核の分離を行い、1869年に白血球細胞の核から、様々なリン酸塩からなるな化学物質を単離し、これをヌクレイン(核酸)と名づけた。核酸研究は当時あまり重要性を認められなかったが、20世紀に入って、アルブレヒト・コッセルらによって研究され、遺伝学の分野に大きな貢献をすることになった。ミーシェルはその後、ライプツィヒ大学カール・ルートヴィヒのもとで生理学を学び、バーゼル大学の生理学の教授となった。呼吸によって、血液中の二酸化炭素濃度が調節されることも示した。ダボスで没。
1970年にバーゼルのチバ・ウント・ガイギー社(現在のノバルティス)の研究所が「フリードリッヒ・ミーシェル研究所」(Friedrich-Miescher-Institut, FMI) と命名された。 FMIは1969年から薬学に貢献した研究者にフリードリッヒ・ミーシェル賞を贈っており、スイスで権威のある薬学の賞となっている。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリードリッヒ・ミーシェル」の詳細全文を読む




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