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フリードリヒ・ハイエク : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ・ハイエク[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリードリヒ・ハイエク : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ・ハイエク[ちょうおん]

フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(、1899年5月8日 - 1992年3月23日)は、オーストリアウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学政治哲学法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表する自由主義の思想家。ノーベル経済学賞の受賞者。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは母方の従兄にあたる。
== 略歴 ==

*1899年 オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンの学者の家庭に生まれる。父方はボヘミア貴族の家系である。
*1917年 第1次世界大戦イタリア戦線において飛行観測手として兵役に従事し、左耳を負傷する〔Friedrich Hayek as a Teacher (2009年5月8日) - David Gordon〕。
*1918年 ウィーン大学に入学。
*1921年 法学博士号取得
*1923年 政治学で2つ目の博士号を取得する。渡米し、ニューヨーク大学で研究助手として働く。
*1924年 ウィーンに戻り、ハーバラーマハループモルゲンシュテルンらと共に私的なセミナーを開く。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスに見守られ研究サークルを作る。
*1926年 結婚
*1927年 オーストリア景気循環研究所の所長となる。
*1929年 ウィーン大学の講師となる。
*1931年 ライオネル・ロビンズロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) での講演に呼ばれ、これ以降、LSEの教授職になる(以後18年間)。
*1933年 「貨幣理論と景気循環」を発表
*1938年 英国の市民権を取得。
*1941年「資本の純粋理論」を発表
*1944年 発表した「隷属への道」(''The Road to Serfdom'') は社会主義共産主義ファシズムナチズムが同根の集産主義であると批判し、当時のベストセラーとなる
*1947年 リバタリアニズムに立脚する学者が集結した組織「モンペルラン・ソサイエティー」を組織し、その初代会長を務めたモンペルラン協会を設立。
*1948年 「個人主義と経済秩序」を発表
*1950年 シカゴ大学の社会科学ならびに道徳科学の教授となる。離婚と再婚
*1952年 「感覚秩序」、「科学の反革命」を発表
*1955年 ロンドンのIEA (Institute of Economic Affairs) の設立に関与。後のサッチャー革命の理論的拠点となる。
*1960年 「自由の条件」("The Constitution of liberty") を発表
*1962年 西ドイツのブライズガウにあるフライブルク大学の経済政策教授となる。
*1968年 フライブルク大学を退官。その後、9年間オーストリアのザルツブルク大学(en)で教える。
*1973年 「法と立法と自由 Ⅰ」("Law, Legislation, and Liberty") を発表
*1974年 アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞(いわゆるノーベル経済学賞)受賞。田中清玄と親交を結び、ノーベル賞授賞式には唯一の日本人としてメーンテーブルに招待した。
*1976年 「法と立法と自由Ⅱ」を発表
*1977年 ザルツブルク大学名誉教授。
*1979年「法と立法と自由 Ⅲ」を発表
*1988年「致命的な思い上がり」を発表
*1991年 ブッシュ大統領により、アメリカの民間人へ与えられる最高の栄誉賞である大統領自由勲章を受章。
*1992年 逝去の報に際して、ブッシュ大統領は直ちに追悼声明を発表し、「現代の最も偉大な思想家の一人」と称している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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