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フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ[ちょうおん]

フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ(Friedrich Heinrich Jacobi, 1743年1月25日 - 1819年3月19日)は、ドイツ思想家著作家。自らは「非哲学(Nichtphilosophie)」の立場を唱道し、人間の活動すべての基礎を、悟性的な論証によっては到達できない、私とともに神的人格が「ある!」ということの直接的な確信、すなわち「信(der Glaube)」のうちに求めた(したがって彼の立場はまた「信仰哲学(Glaubensphilosohie)」とも称される)。近年の研究によって、いわゆる「ゲーテ時代」におけるヤコービの主導性が認識されはじめている。
== 生涯 ==
1743年に、デュッセルドルフの裕福なドイツ系ユダヤ人の商人の次男として生まれた。1770年までは商人として生計を立てていた。1771年にベルク公国の宮廷メンバーとして迎えられた。そこでは、財政への知識と社会改革への熱意からしだいに著名になっていった。
ヤーコビは、常に哲学文学への関心を持ち続けていた。兄で詩人のヨハン・ゲオルク・ヤコービを介して、ドイツの詩人ヴィーラントとともに文学雑誌を刊行し、名を轟かす。当時の学者層とも知り合いが多く、レッシングハーマンヘルダーゲーテなどとは親交が深かった。
ヤーコビは文才があることでも知られ、彼の美文に惹かれた者が多かった。1785年のスピノザ論争を契機に哲学の論壇に登場する。1794年にはフランス革命軍がデュッセルドルフに襲来したため、同地を去り、その後はハンブルクなどに在住した。1804年にミュンヘン学士院に哲学教授として招聘される。1807年から1812年まではバイエルン学士院の長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ」の詳細全文を読む




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