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フリードリヒ・アルベルト・フェルチュ(, 1900年5月19日–1976年12月14日)は、ドイツの軍人。ドイツ国防軍陸軍中将を経て、ドイツ連邦軍陸軍大将に昇進し、1961年から1963年まで第2代連邦軍総監を務めた。 == 経歴 == 西プロイセン生まれ。第一次世界大戦中の1918年5月に入営し、歩兵連隊に配属される。戦後もヴァイマル共和国軍に残り、小隊長や第17歩兵連隊副官を務める。1932年に参謀教育を受け、1939年の第二次世界大戦勃発時は少佐・第3軍団参謀だった。 大戦当初の1940年から1942年まで国内予備軍参謀を務めるが、1942年7月に東部戦線にある第18軍参謀に転じ、1943年末に同参謀長に就任。1944年6月に少将に昇進し、同年9月に騎士鉄十字章受章。1945年1月にクールラント軍集団参謀長に任命される。終戦時にソ連軍の捕虜となり、1950年に戦争犯罪人として重労働刑25年の判決を受けた。罪状はノヴゴロド、レニングラード、プスコフなどの都市破壊と、ガッチナやプーシキンにある文化財の破壊であったが、フェルチュ自身は砲撃は必要だったとして無罪を主張していた。1955年に西ドイツとソビエト連邦の間で戦争状態の正式な終結が宣言され、西ドイツ首相コンラート・アデナウアーがモスクワを訪問した際、フェルチュはソ連国内の収容所にあった多数のドイツ人捕虜と共に釈放された。 1956年、少将としてドイツ連邦軍陸軍に入り、第2軍団長に就任した。1957年に第2装甲擲弾兵師団長。1958年に中将に昇進。1959年から1961年まで、パリにある北大西洋条約機構欧州連合軍最高司令部で計画部長代行を務める。1961年に第2代連邦軍総監に就任し、大将に昇進した。1963年年末を以て退役した。ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字星大綬章受章。ゴスラーで死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリードリヒ・フェルチュ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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