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フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・リンダイナー=ヴィルダウ : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・リンダイナー=ヴィルダウ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・リンダイナー=ヴィルダウ : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・リンダイナー=ヴィルダウ[ちょうおん]

フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・リンダイナー=ヴィルダウ(Friedrich Wilhelm Gustav von Lindeiner genannt von Wildau, 1880年12月12日 - 1963年6月22日)は、ドイツの軍人。第二次世界大戦中、スタラグ・ルフト III(第3空軍捕虜収容所)の所長を務めていたが、大規模な捕虜脱走事件が発生した為に解任された。この脱走事件は後に『大脱走』(The Great Escape)として書籍化・映画化された。
==経歴==
1880年、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・リンダイナー=ヴィルダウはにて生を受けた。1898年3月15日、少尉としてに配属される。1902年5月1日、プロイセン陸軍を離れてドイツ領東アフリカの(Schutztruppe)に移る。1902年6月20日から1905年9月13日まではグスタフ・アドルフ・フォン・ゲッツェン総督の副官として勤務し、また1905年9月7日から1906年10月11日まで、植民地防衛隊本部付副官の任にあった。マジ・マジ反乱の鎮圧にも参加し、その時の戦功からプール・ル・メリット勲章や剣付四級などを受章している。1908年7月31日に植民地防衛隊を離れ、1908年8月1日付で中尉に昇進すると共にプロイセン陸軍に移る。
1912年7月20日、大尉に昇進すると共に第11中隊の中隊長に任命される。1914年8月10日から付幹部護衛歩兵隊(Infanteriestabswache)に勤務。9月19日、第11中隊長に復帰するが、11月17日にはの最中に負傷する。1915年4月13日、前線復帰を果たした彼は第5中隊長となり、5月27日には第2大隊の指揮を任せられた。8月29日、およびを巡る戦いの中で再び負傷する。復帰後は第1近衛歩兵連隊付フュズィリーア大隊の指揮を執るが、12月5日にはロワ=ノワイヨンを巡る戦いの中で再び負傷した。
1914年9月24日、第5通信検査官(Etappen-Inspektion 5)に任命され、1916年10月4日にはヨアヒム・フォン・プロイセンの個人副官となる。1917年10月30日、連隊に復帰。1918年4月23日、(Garde-Reserve-Korps)付の副官に任命されると共に少佐に昇進。1918年11月8日、第4軍付副官に任命され、そのまま敗戦を迎えた。
休戦協定締結後の1919年1月18日より国境警備隊の一員としてポツダムに派遣される。1919年9月20日、退役。これに合わせて第1近衛歩兵連隊の制服が記念として贈られた。その後は民間企業に勤務し、またオランダ人の女男爵と結婚している〔 von Lindeiner-Wildau on the 'History in Film' website〕。
1937年、ヘルマン・ゲーリングの個人幕僚の1人としてドイツ空軍に参加〔。第二次世界大戦中にはスタラグ・ルフト IIIの所長に任命された。1944年、いわゆる「大脱走」が起こると、彼は処罰を免れようと精神病を装ったという。しかし結局は歩兵指揮官の1人として前線勤務が言い渡され、赤軍とのベルリンを巡る戦いの中で負傷した。敗戦と共にイギリス軍に投降し、にて2年間収容された。その間、彼はスタラグ・ルフト IIIで起こったに関連して、(SIB)からの尋問を受けている。しかし元捕虜の多くは、彼がジュネーブ条約に従って捕虜を扱っていたと証言した。最終的に彼は終身刑や死刑を免れ、釈放された。
1963年、82歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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