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フリードリヒ・ヴェルヴィッチュ : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ・ヴェルヴィッチュ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリードリヒ・ヴェルヴィッチュ : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ・ヴェルヴィッチュ[ちょうおん]

フリードリヒ・ヴェルヴィッチュ(、1806年2月25日1872年10月20日)は、オーストリア植物学者、探検家である。アンゴラの砂漠で、珍奇植物のウェルウィッチア(乾燥に適応するために、2枚だけの葉の気孔から大気中の湿気を吸収し、長い根によって地下水を吸い上げる植物)を発見したことで知られる。
==略歴==
ケルンテン公国のマリア・ザールの豊かな家に生まれた。父親はスロヴェニア系で、スロヴェニア語での姓はVelbičであるとされ、母親はドイツ系であることが知られている。父親は法律家で、息子に法律を学ぶことを望んだが、ウィーンで医学と植物学を学び、カルニオラ(現在のスロヴェニア地域)モラヴィアで医師として働くが、植物学に専念するために1839年に医師をやめ、オーストリアをでた。当時珍しい植物を取引するヴュルテンベルク植物協会の植物標本交換会(Unio Itineraria)があり、ポルトガルへ赴き、植物標本交換会にカナリア諸島マデイラ諸島などで採集した植物を送ることにより収入を得た。ポルトガル政府もヴェルヴィッチュに興味を持ち、1853年に当時、ポルトガル領のアンゴラへ派遣された。アンゴラのナミブ砂漠でウェルウィッチアを発見した。さらに、アメリカ大陸以外で初めて発見されたサボテンである、リプサリス()も発見した。
8年間のアンゴラにおける探検と採集を終えて1861年にポルトガルに戻ると、1863年によりよい研究環境を求めてイギリスに渡り、自然史博物館や王立植物園(キューガーデン)の援助を受けて採集した膨大な標本の分類作業を行った。著書に『アンゴラの菌類』("''Fungi angolense''":1868)と 『アンゴラの花環』("''Sertum Angolense''":1870年)がある。膨大な標本の大部分が火災で失われた後、ロンドンで没した。残された標本はポルトガル政府とイギリス自然史博物館で所有権が争われ、分け合う形で保有された。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリードリヒ・ヴェルヴィッチュ」の詳細全文を読む




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