翻訳と辞書
Words near each other
・ フリードリヒ・ヴォルフ
・ フリードリヒ・ヴューラー
・ フリードリヒ大王
・ フリードリヒ美王
・ フリードリヒ賢公
・ フリードリヒ通り駅
・ フリードリヒ=カール・ラーベ・フォン・パッペンハイム
・ フリードリンク
・ フリードリーン・フォン・ゼンガー・ウント・エッターリン
・ フリード・ワルター
フリード・ヴァルター
・ フリーネット
・ フリーノート
・ フリーハウス
・ フリーハグ
・ フリーハブ
・ フリーハンド
・ フリーバス
・ フリーバッファードディム
・ フリーバード


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フリード・ヴァルター : ミニ英和和英辞書
フリード・ヴァルター[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリード・ヴァルター ( リダイレクト:フリート・ヴァルター ) : ウィキペディア日本語版
フリート・ヴァルター[ちょうおん]

フリート・ヴァルター(Fried Walter、1907年12月19日 - 1996年4月8日)は、ドイツ作曲家
ドレスデン近郊のオッテンドルフ・オクリラ出身。幼いころよりピアノチェロオルガンホルンを学んだ。17歳でホルン奏者としてデビューし、ゴータゲーラの劇場で活動したが、1929年世界大恐慌の影響で失業した。
その後ベルリンに出て、映画音楽の作曲技法をジュゼッペ・ベッチェに学んだ。さらに、ベルリン音楽大学(現在のベルリン芸術大学)でアルノルト・シェーンベルクに師事したが十二音技法は受け入れなかった。その後はキャバレーのミュージシャンとして活動したが、ナチス政権が誕生すると、政治とのかかわりを避け、ライプツィヒの放送局の仕事に就いた。同時にライプツィヒではヘルマン・アンブロジウスのもとで学んだ。オランダ滞在の後、1938年にはオペラ『エリザベス女王』を作曲し、グスタフ5世臨席のもとストックホルムの王立歌劇場で演奏された。この成功により指揮者ハインツ・ティーティエンは新たな作品を委嘱し、さらにヴァルターが兵役にとられないよう尽力した。そのオペラ『アンドレアス・ウォルフィウス』は1940年ベルリン国立歌劇場で初演された。1943年にはプラハバレエ『クレオパトラ』が上演され、1944年にはアドルフ・ヒトラーによって「天才名簿(„Gottbegnadeten-Liste")」に
掲載された。
第二次世界大戦後はベルリン国立歌劇場のコレペティトールを務め、1947年からは25年に渡ってアメリカ軍占領地区放送局(RIAS)で指揮者編曲者として活動した。
500以上の作曲作品と、250の民謡からの編曲作品がある。
== 主な作品 ==

===オペラ===

*エリザベス女王
*アンドレアス・ウォルフィウス

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリート・ヴァルター」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.