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フリーマントル級哨戒艇(Fremantle class patrol boat)は、オーストラリアの哨戒艇。15隻が建造された。 ==開発== 1967年から1969年にかけて前級となるが就役したが、その運用実績から哨戒艇のカバーするエリアがより広大になることが見込まれ、1970年から、コンセプトの策定が行われた。9月には海軍が新型哨戒艇の要求を行った。この計画は、1976年から1980年にかけて10隻の新型哨戒艇を就役させ、アタック級の編成を増強し2隻の汎用艦艇の更新を行うものであった。各種哨戒艇の配備予定数は、オーストラリア海軍に16隻、予備役4隻に加え、当時自治領であったパプアニューギニアの分遣隊に10隻の総計30隻に及んだ〔アタック級は20隻が建造されていた。〕。 取得計画は1975年4月に公表され11社が応募、翌年にはブルック・マリーンとルーセンの2社に絞られた。1977年9月22日、ブルック・マリーン案が採用され1億1500万オーストラリアドルで15隻の建造が決定した。1番艇はブルック・マリーンが自社で建造し、その他はノース・クイーンズランド・エンジニアーズ・アンド・エージェンツが建造する分担となった。5隻の追加分については、1982年に無期延期となった〔。ミサイル艇として6隻の取得も考慮されたが、資金不足と準備期間の不足により断念された。 1977年10月に1番艇フリーマントルの建造が開始され、1979年2月16日進水、1980年3月17日に就役した。最初の国産艇となる2番艇ワーナンブールは、1978年9月に起工、1980年10月25日進水、1981年3月14日に就役した。最終艇バンバリーは、1984年12月に就役した〔。名称は全てに存在したものが採用された〔。 オーストラリアでの建造は流れ作業式であり、竜骨を上として上下逆さまになった艇体を建造し、その後に正常な位置に戻して上部を建造した。艇体の建造と同時に甲板上の構造を別途製造し、艇体に溶接した。 当初フリーマントル級の根拠地としてダーウィンのクナワラ海軍基地とケアンズのケアンズ海軍基地が選択されたが、母港としての支援機能は不足していた〔。1981年から翌年にかけて、1000万ドルを費やして整備・補給・管理施設の近代化などの整備が行われた〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリーマントル級哨戒艇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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