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アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム(''Atlanta-Fulton County Stadium'')は、アメリカのジョージア州アトランタにかつてあったスタジアム。MLBアトランタ・ブレーブスが1966年から1996年まで、NFLアトランタ・ファルコンズが1966年から1991年まで、それぞれ本拠地にしていた。 == 球場の歴史 == 1964年3月5日、ミルウォーキー・ブレーブスが「新球場が完成したら1966年シーズンにアトランタに移転」を決定した。プロ・スポーツ球団の誘致を目指していたアトランタ市はこれを受けて同年4月15日に新球場の建設を開始。同年6月30日には、NFL機構が1966年シーズンからアトランタに新球団を創設すると発表した。 工事は急ピッチで進み、1965年の野球シーズン開幕時期に完成した。しかし、カウンティ・スタジアムとの賃貸契約がまだ残っていたブレーブスは、アトランタ新球場の完成にもかかわらず予定通り1966年まで移転を待つこととなった。そのため、1965年はマイナーリーグのアトランタ・クラッカーズが本拠地として使用した。 1966年4月12日、ブレーブスが移転後初の試合を開催。これまでボストン、ミルウォーキーで不人気に喘いでいたブレーブスだが、新本拠地初試合には51,500人のファンを動員した。9月11日にはNFL新球団のファルコンズも初試合を開催し、54,418人の観客がスタジアムに駆けつけた。 しかしその後、両球団の人気は対照的になる。ファルコンズが50,000人以上の観客を何度も動員するのに対し、ブレーブスの人気が長く続くことはなく、1970年代には年間観客動員100万人未満が8年続いた時期もあった。1976年には新オーナーのテッド・ターナーを中心に様々なアトラクションを企画したが、これも功を奏さなかった。 さらに、両球団は共にグラウンド・コンディションに不満を持っていた。兼用球場では珍しく、人工芝ではなく天然芝を採用していたのだが、球場専属のグラウンドキーパーが1990年になるまでいなかったため、フィールドはひどく荒れていた。 1984年にはファルコンズが新スタジアムの計画を開始。1992年にはジョージア・ドームへ移転した。1980年代後半にはブレーブスも新球場計画を検討し始めた。1996年の夏季五輪がアトランタで開催されることが決まると、ブレーブスとアトランタはオリンピック・スタジアムを大会終了後に野球場に改装する計画に合意した。 1996年7月20日から8月2日の間、五輪野球が開催された。同年10月24日、ヤンキースとのワールドシリーズ第5戦がこの球場での最終戦となった。 1997年8月2日に爆破解体され、現在はターナー・フィールドの駐車場になっている。しかしフィールドの輪郭は駐車場に残され、本塁や各ベース、そして1974年4月8日にハンク・アーロンがベーブ・ルースの大リーグ記録を更新した通算715本目のアーチの落下点が印されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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