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フルトン演説 : ミニ英和和英辞書
フルトン演説[せつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

演説 : [えんぜつ]
  1. (n,vs) speech 2. address 
: [せつ]
  1. (n,n-suf) theory 

フルトン演説 ( リダイレクト:鉄のカーテン ) : ウィキペディア日本語版
鉄のカーテン[てつのかーてん]

鉄のカーテン(てつのカーテン、)は、冷戦時代のヨーロッパにおいて東西両陣営の緊張状態を表すために用いられた比喩である。同じく冷戦による分断の象徴として有名なベルリンの壁とは異なり、物理的な構造物のことではない。
== 由来 ==
イギリスウィンストン・チャーチルが第61代首相を退任後の1946年3月、アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンに招かれて訪米し、ミズーリ州フルトンウェストミンスター大学で行った演説の中でこう述べたことにちなむ。
米ソ冷戦の緊張状態を表す言葉として盛んに用いられた。
その後、ヨシップ・ブロズ・チトーが指導していたユーゴスラビア、またアルバニア社会主義国でありながらも東側陣営から離脱して非同盟の動きを見せたり、ドイツの東西分裂により生まれたドイツ民主共和国(東ドイツ)が発足後に東側陣営へ組み入れられるなどして、境となる線は何度か変化した。
有名になったのは上記のチャーチル演説以降であるが、ナチス・ドイツ宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスがこの1年前に、同様の言葉を雑誌に寄稿した論文に用いたり、日記にしたためたりしている。またさらに遡ること15年、ソビエト連邦の作家レフ・ニクーリンが著したエッセイの中にも、ヨーロッパの東西陣営の緊張を表す言葉としてこの言葉が登場している。
この「鉄のカーテン」は、ヨーロッパの東西分断を象徴する言葉でもあり、「西欧」「東欧」という表現が盛んに用いられる契機ともなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鉄のカーテン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Iron Curtain 」があります。




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