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フレシネ
フレシネ(, )は、スペイン・カタルーニャ州バルセロナ県に拠点を置くカバ(スパークリングワイン)の生産者。フレシネという名称は、フェラー家が13世紀からアルト・ペネデス地域に所有している農場、ラ・フレシネーダ(La Freixenada)に由来し、ラ・フレシネーダとは「トネリコの木」という意味を持つ〔フレシネとは フレシネ社〕。 == 歴史 == フェラー(フェレール)家はラ・フレシネーダと呼ばれる農場の所有者であり、のサン・キンティ・ダ・メディオナに13世紀から農場を所有していた。サラス家は1830年からワイン生産を行っており、にラテンアメリカ輸出用ワイナリーのカサ・サラを設立した。フェラー家とサラス家という、ワイン生産で長い歴史を持つ2つの家が結ばれることでフレシネ社が誕生した。 19世紀後半、フェラー家のペドロ・フェラーはカサ・サラ創業者の孫娘であるサラス家のドローレス・サラ・ビベと結婚し、1861年にサン・サドゥルニ・ダノイアにフレシネ社を設立した〔。19世紀末にはヨーロッパ全土が害虫フィロキセラの災禍に遭い、スペインでも黒ブドウ品種の畑は壊滅的な被害を受けた。これより一足早く、カタルーニャのコドルニウ社などはシャンパーニュ地方のスパークリングワインの成功に着目し、マカベオ種、種、種などスパークリングワインに使用される白ブドウ品種への植え替えを、ブドウ畑の所有者に対して奨励していた。新婚夫婦とドローレスの父親はサラス家のビジネスをトラディショナル方式(シャンパン方式)でのスパークリングワイン生産に切り替え、1872年からスパークリングワインを生産していたコドルニウ社に続き、1914年にフレシネ社もスパークリングワインの生産に乗り出した。1930年代後半のスペイン内戦でペドロ・フェラーが死去し、妻のサラと息子のホセが経営を引き継いだ〔。 1941年、フレシネ社は基幹商品である「カルタ・ネバダ」の発売を開始した。当時のワインボトルは深緑色が一般的だったが、カルタ・ネバダは白色の擦りガラスによるボトルを採用して注目を集めた〔。1974年には黒色の擦りガラスによるボトルを用いた商品「コルドン・ネグロ」で国際的な成功をおさめ、この時期にスペイン国内でTVコマーシャルによる広告宣伝を開始した〔。かつてカバは「スペインのシャンパン」と呼ばれていたが、1986年にはスペインが欧州諸共同体(EC)に加盟し、1992年にはEU法でシャンパーニュ地方のシャンパンが原産地名称保護制度の地理的保護表示(PGI)の対象となったため、現在ではスペイン産スパークリングワインが「シャンパン」を名乗ることはできない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フレシネ」の詳細全文を読む
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