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フレッシュ・カーロイ : ミニ英和和英辞書
フレッシュ・カーロイ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フレッシュ・カーロイ : ウィキペディア日本語版
フレッシュ・カーロイ[ちょうおん]

フレッシュ・カーロイ(, 1873年10月9日 モション - 1944年11月14日 ルツェルン)は、ハンガリー出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。一般的にはカール・フレッシュ()の姓名で知られ、また演奏家としてよりも、数々の演奏家を世に送り出した卓越した音楽教育者として世界的に知られている。
== 略歴 ==
6歳よりヴァイオリンの演奏を始める。10歳でウィーンに行き、ヤコブ・グリュンに入門する。1890年、17歳でフランスに渡り、1894年までパリ音楽院留学して当初はウジェーヌ・ソゼーに、のちアルマン・マルシックに師事した。1895年にウィーンにてデビューを果たす。バロック音楽から同時代の音楽までの幅広いレパートリーをもったソリストとして、また、フーゴ・ベッカーアルトゥール・シュナーベルとピアノ三重奏団を組むなど室内楽奏者として知られるようになり、1897年以降はヴァイオリン教師としても活動した。さしあたって1902年までブカレスト音楽院で、次いで1903年から1908年までアムステルダム音楽院で、最後に1903年から1926年までベルリンで教授を務めた(さらに1924年以降はフィラデルフィアカーティス音楽院にも出講している)。その後は1934年までバーデン=バーデンに暮らすが、1934年第三帝国を去ってロンドンに行き、その後アムステルダムルツェルンに移った。
教育者として数々の指導書を発表しており、中でも「ヴァイオリニストのバイブル」と俗称されたこともある『ヴァイオリン演奏の技法()』(1923年-1928年)は、ヴァイオリニストを単なるヴィルトゥオーゾとしてよりも、芸術家として観念化したことで知られている。『音階教本()』は、ヴァイオリン教育に必携の資料となっている。ルイス・クラスナーアルバン・ベルクヴァイオリン協奏曲を初演する際にフレッシュは、技巧上の難点について相談を受けた。
著名な門弟に、ヨーゼフ・ハシッドイダ・ヘンデルジネット・ヌヴーヘンリク・シェリングイフラ・ニーマンイヴリー・ギトリスエリック・ローゼンブリスマックス・ロスタルリカルド・オドノポソフシモン・ゴールドベルクティボール・ヴァルガノルベルト・ブライニンシュテファン・フレンケルらといった錚々たる顔触れが揃っており、それぞれ演奏家や教育者として名を揚げた。
ストラディヴァリの「ブランカッチョ」を所蔵していたが、1928年ニューヨーク証券取引所により財産を失うと、やむなくこの銘器を手離した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレッシュ・カーロイ」の詳細全文を読む




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