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フレッド・オットマン(Fred Ottman、1956年8月10日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。バージニア州ノーフォーク出身。 WWFでのタイフーン(Typhoon)やタグボート(Tugboat)、WCWでのザ・ショックマスター(The Shockmaster)など、様々なリングネームで活動した巨漢ファイターである。 == 来歴 == 1984年、NWA圏フロリダ地区のCWFにてビッグ・ババのリングネームでデビュー。1985年はテキサス州サンアントニオのテキサス・オールスター・レスリングに出場し、ブルーザー・ブロディ、イライジャ・アキーム、カリーム・モハメッド、カマラ、ワンマン・ギャング、ハクソー・ヒギンズらを相手にスーパーヘビー級の肉弾戦を展開。12月にはアル・マドリルを破りUSAヘビー級王座を獲得した。 1986年からはテネシー州メンフィスのCWAを主戦場に、ババ・ザ・ターミネーター、ババ・ザ・ベルトコレクターなどのリングネームで活動。1986年10月6日にはパット・タナカを下し、前王者ジェリー・ローラーの返上で空位となっていたCWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。 同月27日にはトレイシー・スマザーズを破ってミッドアメリカ・ヘビー級王座にも戴冠している。1988年下期からはフロリダのFCW(旧CWF)にてU・S・スティールを名乗り、11月9日にディック・スレーターからFCWフロリダ・ヘビー級王座を奪取。当時NWA-WCWを離脱して一時的に古巣のフロリダ地区に戻っていたダスティ・ローデスとも抗争を展開した。 1989年6月、ビッグ・マン・スティールの名前でWWFのダークマッチに登場(マネージャーはスリック)。しかしすぐに姿を消し、翌1990年に水兵ギミックのタグボート・トーマスとしてベビーフェイスのポジションで再デビューする。やがてリングネームをタグボートと簡略化し、ハルク・ホーガンのパートナーとなってアースクエイクやディノ・ブラボーと抗争した。 1991年5月にヒールに転向し、タイフーンと改名。ジミー・ハートをマネージャーに、ライバルだったアースクエイクとナチュラル・ディザスターズなる超巨漢タッグチームを結成、リージョン・オブ・ドゥームのWWF世界タッグ王座に再三挑戦した。1992年には揃ってフェイスターンを行い、7月20日にテッド・デビアスとIRSのマネー・インコーポレーテッドからWWF世界タッグ王座を奪取。また、同年4月にはSWSにナチュラル・ディザスターズとして来日し、ジョージ高野と高野俊二の兄弟チームを破りSWSタッグ王座も獲得している。 1993年、WCWに移籍。ザ・ショックマスターを新リングネームに、ストーム・トルーパー風の被り物を着けたマスクマンに変身、スティングやデイビーボーイ・スミスの助っ人として参戦する。しかし、初登場時の生放送の公開TVショー(中継番組『Clash of the Champions』でのリック・フレアーのインタビューコーナー "A Flair for the Gold")において、セットの壁を突き破る際につまづいて被り物が脱げ、正体を曝してしまうという大失態を演じた。このシーンは後々まで語り草となり、近年でもWWEやTNAでネタにされている。その後、軌道修正を図るべくアンクル・フレッドなどのコミカルなキャラクターに再変身するも、すぐにフェードアウト。以降は1994年の短期間のWWF復帰を経てインディー団体を転戦し、1995年12月からはタイフーン名義でWARにも参戦した。 2001年4月1日、レッスルマニアX-Sevenにおけるギミック・バトルロイヤルでは、タグボートとして久々にWWFに登場。同年に引退し、近年はフロリダ州レイクランドにて建物清掃サービス会社の安全管理者として働く一方、リトルリーグのコーチも務めている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フレッド・オットマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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