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フレッド・クハウルア(Fred Kuhaulua、1953年2月23日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州出身の元プロ野球選手(投手)。日本での登録名はフレッド。 == 来歴・人物 == 1977年にカリフォルニア・エンゼルスに昇格、3試合の登板にとどまったが3Aでは9勝5敗の成績をマークした。1978年に中日ドラゴンズに入団した。当時現役だった大相撲力士・高見山の従兄弟〔【3月20日】1978年(昭53) “ヘビ球”投げる人気力士のいとこ 中日左腕投手緊急補強 ― Sponichi Annex 日めくりプロ野球 スポーツニッポン 2009年3月1日〕ということで話題になった。 開幕直後に来日し二軍で初登板して白星を挙げたが、投球内容では首脳陣の期待に応えられず、一軍初登板は4月30日まで無かった〔。威圧感に欠けるフォームで、スピード不足で権藤博二軍の投手コーチも「球威がない」と前途多難を匂わせていたが、一軍昇格後に当時の投手コーチだった稲尾和久の指導を受け、手先だけで投げていたフォームから体全体を活かしたフォームに改造。すると、投球内容が若干向上し、9月22日の対巨人戦で完投勝利をあげるなど、先発ローテーションに入って3勝を挙げた。しかし、翌年に向けて新外国人打者(ギャレット弟、ジョーンズ)を補強する方針のため、この年限りで解雇され退団した。 2年後の1981年にはサンディエゴ・パドレスに移籍し、同年9月から主に先発〔スポニチの記事では「中継ぎ」となっているが、該当年度の成績では5試合中4試合が先発登板(Game Started)のため「主に先発」と表記〕として大リーグ復帰を果たした。10月1日のドジャース戦では8イニングを無失点に抑えてメジャー初勝利をあげた。この試合が現役最後の登板となり、その後引退した。1981年の成績は防御率は2.45、29.1イニングに登板しながらも被本塁打はわずか1本で、負けもつかなかった。 球種・ストレート、スライダー、カーブ、シュート、決め球はフォーク。 温厚な性格で真面目で練習熱心な選手だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フレッド・クハウルア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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