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フレッド・クラーク : ミニ英和和英辞書
フレッド・クラーク[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フレッド・クラーク : ウィキペディア日本語版
フレッド・クラーク[ちょうおん]

フレッド・クラーク(Fred Clifford Clarke, 1872年10月3日 - 1960年8月14日)は、1890年代から1920年代のアメリカメジャーリーグの野球選手、及び監督。選手としての主なポジションは左翼手アイオワ州生まれ。右投げ左打ち。24歳から監督を兼任し1600勝以上を挙げる一方、通算打率3割以上の打撃成績を残した。
== 略歴 ==
1894年、それまでアメリカ南部のサザンリーグでプレーしていたところをスカウトされ、カーネルズでデビュー。デビュー戦の5打数5安打は今もメジャー記録である。
1897年には、24歳でルイビル・カーネルズの監督を兼任し、自らも128試合に出場して打率.390、202安打をマークする。チームメートには、後の殿堂入り選手であるホーナス・ワグナールーブ・ワッデルらがいたのだが、1899年までのチーム順位は最高で12球団中9位と低迷し続けていた。カーネルズは1899年にピッツバーグ・パイレーツに吸収され消滅、クラークも翌年パイレーツに移籍した。その年パイレーツはリーグ2位になり、翌1901年からはナショナルリーグを3連覇する強豪に生まれ変わった。特に1902年のチーム成績は103勝36敗(勝率.741)で、負け数36は現在もリーグ最少記録である。
クラークは1903年に初めて開催されたワールドシリーズに出場。この時はサイ・ヤングを要するボストン・アメリカンズの前に敗退した。自身2度目のワールドシリーズ出場は1909年タイ・カッブらを要するデトロイト・タイガースを相手にし、クラーク自身も2本の本塁打を放つなどの活躍をしてチームをワールドシリーズ制覇へ導く。監督としてリーグ優勝を4度経験する一方で、打率3割以上のシーズンが11度など、選手としても高いパフォーマンスを維持し続けていた。
1915年に現役を退いた後はパイレーツのコーチ、およびルイビルからのオーナーだったバーニー・ドレイファスの側近として、パイレーツのチーム経営にも参画する。1945年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1960年カンザス州で87歳で死去。メジャーリーグ1年目の時、クラークはカンザス州に"Little Pirate Ranch"と名づけた小さな農場を購入していた。ここは野球界から引退した後の彼が生活し、その生涯を閉じた場所でもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレッド・クラーク」の詳細全文を読む




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