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フレッド・ローズ(Fred Rose、1898年8月24日 - 1954年12月1日)は、アメリカ合衆国のソングライター、音楽出版事業経営者で、カントリー・ミュージック殿堂博物館の設立時に殿堂入りした3人のうちのひとり。 == 生涯 == フレッド・ローズはインディアナ州エバンズビルに生まれ、小さな子どもの頃からピアノを弾き、歌を歌っていた。十代でイリノイ州シカゴに移ると、ローズは酒場でチップを求めて演奏するようになり、やがてヴォードヴィルに加わった。最終的に、ローズはソングライターとして成功したが、最初のヒット曲となったのは女芸人ソフィー・タッカー(Sophie Tucker)に提供した作品だった。 フレッド・ローズは、一時テネシー州ナッシュビルに住んでいたが、当地で取り組んだラジオ番組は長続きせず、ソングライターとして生計を立てる望みを持ってニューヨークのティン・パン・アレーへと向かった。そのニューヨークで、ローズは、RKOのB級西部劇映画のスターで、「Back In the Saddle Again」をジーン・オートリー(Gene Autry)と共作した、レイ・ホイットレー(Ray Whitley)と組んで曲を作り始め、この共同作業がローズをカントリー音楽に引き込んだ。ローズは、時にはハリウッドのレイ・ホイットレーと妻ケイ(Kay)のアパートに滞在して、レイの映画で使う楽曲を数多く作り出した。 1942年、ナッシュビルに戻ったローズは、(当時はまだラジオ番組だった)『グランド・オール・オプリ』のスターであるロイ・エイカフ(Roy Acuff)と組んで、ナッシュビルに拠点を置く最初の音楽出版社を興した。彼らが設立したエイカフ=ローズ・ミュージック(Acuff-Rose Music)は、たちまち成功を収めたが、それは、権利委託者のひとりであったハンク・ウィリアムズが大量のヒットを飛ばしたことによるものであった。エイカフ=ローズ・ミュージックは、フレッド・ローズの死後も、カントリー音楽業界の基礎であり続けた。フレッドの息子ウェズレー・ローズ(Wesley Rose)は父の後を受け継いで社長となり、ロイ・エイカフとの共同経営を続けたが、1985年に同社は所有する楽曲に関する諸権利を、グランド・オール・オプリの親会社であるゲイロード・エンターテインメント(Gaylord Entertainment Company)の完全子会社ゲイロード・ブロードキャスティング(Gaylord Broadcasting)に売却した。 音楽出版事業の経営にあたっていた間も、フレッド・ローズは多数のカントリー楽曲を書き続け、カントリー音楽業界における最も重要な人物のひとりとなった。ローズは、フロイド・ジェンキンス(Floyd Jenkins)という筆名でも楽曲を発表していた〔Atkins, Chet and Neely, Bill. (1974). "Country Gentleman". Chicago. Harry Regnery Company. ISBN 0-8092-9051-0.〕。 フレッド・ローズは1954年にナッシュビルで亡くなり、当地のマウント・オリベット墓地(Mount Olivet Cemetery)に埋葬された。 1961年にカントリー・ミュージック殿堂博物館が設立された際、フレッド・ローズは、ハンク・ウィリアムズ、「カントリー音楽の父」ジミー・ロジャーズ(Jimmie Rodgers)とともに、最初に殿堂入りした3人のうちのひとりとなった。ローズはまた、1970年にはナッシュビル・ソングライターの殿堂(Nashville Songwriters Hall of Fame)、1985年にはソングライターの殿堂(Songwriters Hall of Fame)においても殿堂入りとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フレッド・ローズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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