翻訳と辞書
Words near each other
・ フレディ・ジョーンズ
・ フレディ・ジラルデ
・ フレディ・スティール
・ フレディ・スペンサー
・ フレディ・セラーノ
・ フレディ・ノーウッド
・ フレディ・ハイモア
・ フレディ・ハバード
・ フレディ・バイエスタス
・ フレディ・バイナム
フレディ・ビュアシュ
・ フレディ・ビュアシュへの手紙
・ フレディ・ファン・ロデウィック
・ フレディ・フォックス
・ フレディ・フランシス
・ フレディ・フリーマン
・ フレディ・プリンゼ・Jr
・ フレディ・プリンゼ・Jr.
・ フレディ・プリンゼ・ジュニア
・ フレディ・ヘッド


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フレディ・ビュアシュ : ミニ英和和英辞書
フレディ・ビュアシュ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


フレディ・ビュアシュ : ウィキペディア日本語版
フレディ・ビュアシュ

フレディ・ビュアシュFreddy Buache1924年12月29日 - )は、スイスの映画ジャーナリスト映画批評家である。1951年から1996年まで、「シネマテーク・スイス」の館長であった。現在はローザンヌ大学で教えている。
==来歴・人物==
1924年12月29日に生まれる。スイス・ヴォー州ヴィラール=マンデラスで幼少期を過ごし、そこでは両親が「ル・カフェ・ド・ラ・ポスト(''le Café de la Poste''、郵便局カフェの意)」を経営していた。1933年、両親のカフェが破産し、ローザンヌへ引っ越す。
1946年、ビュアシュはシャルル・アポテロスとともに劇場興行会社「フォー・ネ(''Faux Nez''、つけ鼻の意)」を設立。フリーランスのジャーナリストとして、『ヌーヴェル・ルヴュ・ド・ローザンヌ ''Nouvelle Revue de Lausanne''』誌、ついで『トリビューン・ド・ローザンヌ ''Tribune de Lausanne''』紙のそれぞれでカテゴリー映画を1959年まで手がけた。
アンリ・ラングロワジョルジュ・フランジュといった、フランスパリシネマテーク・フランセーズの創立者たちにたくさんの接触を進め、1950年、「シネマテーク・スイス」活動開始。
1951年 - 1996年、同シネマテーク館長。1996年退任後の後任は映画史家エルヴェ・デュモン(1943年 - 、ローザンヌ大学教授を兼任)。1967年 - 1970年ロカルノ国際映画祭の共同ディレクターをつとめた。1973年第23回ベルリン国際映画祭審査員をつとめる。
1981年、ローザンヌ市創設500年記念で市から発注された、ジャン=リュック・ゴダール監督の12分の短篇映画『フレディ・ビュアシュへの手紙』のタイトルに登場、一躍有名に。1987年には同州ニヨンでロケーション撮影が行われたゴダール監督の『ゴダールのリア王』にも「クェンティン教授」役で出演している。
1991年、312分(5時間12分)の長尺ドキュメンタリー映画『''Le Film du cinéma suisse''』にミシェル・ステージャクリーヌ・ヴーヴマルクス・インホフとともに共同脚本・共同監督として名を連ねる。編集はブリジット・デュックダニエラ・ロデレール、録音はリュック・イェルサン。本作は同年、第44回カンヌ国際映画祭特別招待作品として上映された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレディ・ビュアシュ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.