|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ブル : [ぶる] 【名詞】 1. bull 2. (n) bull ・ 政 : [せい, まつりごと] 【名詞】 1. rule 2. government ・ 政府 : [せいふ] 【名詞】 1. government 2. administration
フレンスブルク政府(フレンスブルクせいふ、, )は、第二次世界大戦末期にドイツに設立された臨時政府。1945年4月末にソ連軍との戦いの末陥落したベルリンで行政・軍事の統治が不可能となったため、ナチス党政府の要人はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州にあるフレンスブルクに行政機能を移転し、疎開政府機関として無条件降伏までの敗戦処理を執り行った。デーニッツ政府()とも呼ばれる。 連合国軍との間でドイツ軍の無条件降伏に向けた敗戦処理の交渉、権威が及ぶ範囲で有力ナチ党員・親衛隊員の要職からの解任を主な執務としたが、ドイツ全土には連合軍によって占領統治が行われており、その影響力は限定されていた。また連合国は政府としての承認は行なわなかった〔松村昌廣 「「無条件降伏」とハーグ陸戦法規 日本にドイツ式「基本法」制定は可能であったか 」 桃山法学第17号、2011年3月〕。5月23日には閣僚が捕虜として逮捕され〔、その機能を失った。6月5日のベルリン宣言により、中央政府がドイツに存在しないことが確認された。 == 成立 == === 政府機能の疎開 === 1945年4月、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはベルリンにある総統官邸地下の総統地下壕で作戦の指揮を行っていた。ベルリンはすでにソ連軍の攻撃下にあり、包囲・陥落も時間の問題であった。親衛隊全国指導者・内相のハインリヒ・ヒムラーはかねて画策していた首都機能の移転を実行するべく、その地を戦災の比較的少なかったドイツ北部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に決めていた。4月20日の総統誕生日にヒトラーは国防軍最高司令部、陸軍総司令部、空軍総司令部、そして閣僚の避難を許可し、ドイツが戦線によって分断された時に備えて、ドイツ北部にいるドイツ軍の統帥を海軍総司令官カール・デーニッツ元帥に委任した。デーニッツはキールに近いオイティン湖のほとりプレーン(Plön)の海軍司令部に移り、そこで、海軍全般の指揮の他に北ドイツでの難民の輸送、補給作業を指揮することになった。 4月21日、ヒトラー、ゲッベルス、ボルマンを除く主な閣僚も避難し、国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル元帥、作戦部長アルフレート・ヨードルを含む国防軍最高司令部・陸軍総司令部の一部はデーニッツに合流するためプレーンへ、空軍総司令官ゲーリングを含む空軍総司令部と国防軍最高司令部・陸軍総司令部の大半、総統官房長ハンス・ハインリヒ・ラマースはオーバーザルツベルクへ疎開した。避難した閣僚の多くはオイティンに移り、4月23日には移転初の閣僚会議が地方議会議事堂で行われたが、この議長は最年長であり当時財務大臣であったルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージクが務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フレンスブルク政府」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|