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フロワサールの年代記 : ミニ英和和英辞書
フロワサールの年代記[き]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
年代 : [ねんだい]
 【名詞】 1. age 2. era 3. period 4. date 
年代記 : [ねんだいき]
 【名詞】 1. annals 2. chronicle 3. chronology
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [き]
 (n,n-suf) chronicle

フロワサールの年代記 ( リダイレクト:ジャン・フロワサール ) : ウィキペディア日本語版
ジャン・フロワサール[き]


ジャン・フロワサール(Jean Froissart, 1337年頃 - 1405年頃)は、中世年代記作家。フロワサールの年代記は百年戦争前半における重要な歴史資料であり、14世紀におけるイングランドフランスにおける騎士道文化を記した文化的傑作とも評価されている。
== 生涯 ==
フロワサールの生涯はほとんど知られておらず、彼自身の著作における記述から覗えるのみである。フロワサールはエノー出身で、父は紋章の絵描きだったとされている。当初は商人になろうとしたものの事務官となり、24歳ごろにエノー伯の娘でイングランド王エドワード3世の王妃フィリッパに宮廷詩人兼歴史記録係として仕えた。
1361年から1369年までフィリッパに仕え、その間の覚書も後に年代記に含められている。フロワサールはイングランドスコットランドウェールズフランスフランドルスペインと各地を旅し、1368年にはミラノでエドワード3世の次男クラレンス公ライオネルミラノの僭主ガレアッツォ・ヴィスコンティの娘ヴィオランテとの結婚式に出席した。この結婚式にはペトラルカチョーサーも出席している。
フィリッパの死後、様々なパトロンをもったが、特にブラバント女公ジャンヌの庇護を受けた。1395年にイングランドへ戻ったが、騎士道の終焉を見てひどく失望したといわれる。フロワサールの死亡の場所、年は明らかではないが、1405年頃イングランドで亡くなったと考えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン・フロワサール」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jean Froissart 」があります。




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