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フローラン・アモディオ(、1990年5月12日 - )は、ブラジル出身、フランスの元フィギュアスケート選手(男子シングル)。 2010年バンクーバーオリンピック、2014年ソチオリンピックフランス代表、2011年欧州選手権優勝。 == 経歴 == 1990年、ブラジルのセアラー州ソブラル生まれ。幼少時に養子縁組でフランスに渡り、ヴァル=ドワーズ県フレマンヴィルで育つ。4歳でスケートをはじめた。成長期の骨端症で12歳から一年半のブランクがある。 2008-2009シーズンのジュニアグランプリファイナルで優勝し頭角を現す。2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦において初めてシニアの大会に派遣された。2009-2010シーズン、フランス選手権でヤニック・ポンセロとアルバン・プレオベールを押さえ初優勝。バンクーバーオリンピックの出場権を獲得し、オリンピックでは12位となった。 2010-2011シーズンのグランプリシリーズ初戦のNHK杯では3位となり、シニアのグランプリシリーズで初の表彰台に上った。続くエリック・ボンパール杯では2位、ISUグランプリファイナルに初の出場資格を得た。初出場の欧州選手権ではSPで1位、FSでは3位となり総合1位。男子シングルで初出場の選手が欧州選手権を制したのは1995年のイリヤ・クーリック以来のことである。2年連続の出場となった世界選手権ではSPで5位となり最終グループ入りを果たした。FSでは歌詞入りの音楽を使用したが、ジャッジの多数決により減点されることは無かった〔Golden Skate 〕。インタビューでは、歌詞入りの音楽を使用した理由を「全ての日本人へのささやかなプレゼントだ」と語っている。結果は7位だった。 2011-2012シーズン、スケートアメリカで10人中9位と惨敗。エリック・ボンパール杯でも6位と低迷したのを受けてSP、FSともに改変して臨んだフランス選手権では準優勝したものの演技中に背中を故障。欧州選手権では銅メダルを獲得した。世界選手権では5位だった。国別対抗戦にも派遣され、個人(男子シングル)では4位となった。 このシーズンオフに『''Programme Libre''』という題の短編ドラマ映画に出演した〔http://www.imdb.com/title/tt2675216/〕。 2012-2013シーズン、GPSではスケートカナダでは4位。エリック・ボンパール杯では3位。ブライアン・ジュベールが欠場したフランス選手権で優勝。欧州選手権では銀メダル。期待を受け臨んだ世界選手権ではSPでジャンプのミスと最後のスピンで転倒し10位に。FSでは15位と後退し、トータル12位に終わった。6月にさまざまな行き違いの蓄積により、ニコライ・モロゾフとの師弟関係を解消した〔Amodio leaves Morozov, starts training with Krier 〕。 2013-2014シーズン、7月に練習拠点をフランスに戻し、ブライアン・ジュベールのコーチでもあるカティア・クリエに指導を受け始める。さらにアレクセイ・ヤグディン、ステファン・ランビエールにも一時的に指導を受けた。9月にはシャネッタ・フォレを新たにコーチに迎えた〔Folle steps in as Amodio's new coach at Bercy 〕。世界選手権は準備不足のために欠場を発表した〔Amodio renonce aux Mondiaux 〕。シーズン終了後、ベルナール・グラッサーにコーチを戻し、ファビアン・ブルザとも仕事を行う〔Seeking more consistency, Amodio tones down act 〕。 2014-2015シーズン、エリック・ボンパール杯の後にグラッサーの勧めもありコーチをクロード・ペリ=テベナールに変更した〔Amodio readies for fifth Europeans 〕。 2015-2016シーズン、11月に欧州選手権を最後に、現役を引退することを発表。コーチをニコライ・モロゾフに戻した〔Patinage artistique : Florent Amodio annonce l'arrêt de sa carrière 〕。欧州選手権ではSP8位。FSでは予定していたジャンプを全て降り2位で、総合4位に順位を上げた。コーチのモロゾフと涙を流しながら抱き合い、キスアンドクライでは4ヶ国語で世界のファンへのメッセージを送った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フローラン・アモディオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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