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フン・セン : ウィキペディア日本語版
フン・セン

フン・セン( / Hun Sen, 1951年4月4日1952年8月5日との説もある。〕 - )は、カンボジア軍人政治家民主カンプチアポル・ポト派政権)で軍司令官を務めたが1977年に離脱。1978年のベトナム軍進攻後は親ベトナム政権の外相・首相を歴任。カンボジア王国首相カンボジア人民党議長(党首)を務める。
== 経歴 ==
1951年、カンボジア東部コンポンチャム州の農家に生まれる〔冨山(1992年)、42ページ。〕。父親は海南島出身の華人だと言われ、"Hun Sen" は「雲昇」という中国語海南語)に対応する〔中国語メディア各社は「洪森」の字を当てている。〕。13歳のとき、勉学のためプノンペンに出た〔。
1970年3月、北京に亡命中のシハヌーク殿下の呼びかけに応じ、ロン・ノル政権に対抗するクメール・ルージュ軍の下級部隊指揮官として従軍。1975年4月のプノンペン攻略に大隊長として参加し、4月16日の戦闘で顔面に銃弾を受けて左目を失明した〔〔ソ連製から順天堂製へシフト フン・セン氏の義眼(リポート・医療) 『アエラ』 1991年5月14日号、73ページ。〕。1976年になるとクメール・ルージュの過激な政策に嫌気がさし、粛清の危険も感じて、翌年の6月にポル・ポト派を離脱しベトナムに亡命する〔。
1978年12月、カンプチア救国民族統一戦線中央委員および救国民族青年協会会長に就任。直後にベトナム軍がカンボジアに侵攻、クメール・ルージュ軍は敗走しポル・ポトはタイとの国境へ逃れた。1979年1月7日、プノンペン陥落の同日、人民革命党再建大会(第3回党大会)において中央委員および常任委員会委員〔7人の常任委員の中で、フン・センとヘン・サムリンの2人だけが前クメール・ルージュだった。チャンダ(1999年)、588ページ。〕に選出された。翌8日には世界最年少の28歳で人民革命評議会外務担当副議長(外務大臣)に就任し〔、10日には「カンプチア人民共和国」(ヘン・サムリン政権)が発足した。以後、彼は外務大臣として、インドシナ和平交渉において重要な役割を果たしてゆく。
1981年5月1日の総選挙において、コンポンチャム州選出の国民議会議員として当選。同年5月26日から29日の第4回党大会において、中央委員および政治局員、書記局員に選出され、党内序列第6位となる。6月にはペン・ソバン内閣の閣僚評議会副議長(副首相)兼外務大臣に任命され、ペン・ソバン失脚後も、次のチャン・シ内閣で留任した。
1984年末のチャン・シ首相の死後、フン・センは同首相の葬儀委員長を務める。そして1985年1月14日、第8期国会において後任の閣僚評議会議長(首相)に選出され、外務大臣を兼務した。1990年9月にはカンボジア最高国民評議会 (SNC) 議員に就任。1991年10月18日、カンプチア人民革命党臨時党大会において、カンボジア人民党への改称が採択されるとともに、フン・センは党中央委員会副議長に選出され、序列第3位となった。1991年、ベトナムのより政治学博士号を授与。
1993年5月の国連管理下の総選挙の結果、王党派の政党フンシンペックと人民党が連立で合意し、同年7月1日にノロドム・ラナリット殿下と共に暫定国民政府共同首相に就任した。9月24日、新憲法が発効し、カンボジア王国が成立すると、第二首相に就任。
しかし政権内闘争が発展し、1997年7月にラナリットの外遊中に武力クーデターを起こし、連立相手であったフンシンペックを政権から排除した。その後はフンシンペック・反ラナリット派と連立の枠組を維持し、ウン・フオト外相を第一首相に就けた。
1998年11月、再びフンシンペックとの連立で合意し、ラナリットは下院議長に就任し、フン・センは11月30日に単独の首相に就任した。2004年7月15日、首相に再任。
彼は政権にとどまるために威嚇戦術を用いることがあると評されている。
2009年10月、隣国タイ王国から逃亡中のタクシン・チナワット元首相を、個人アドバイザーとして迎え入れた。また、タクシン元首相は同時に、政府の経済顧問にも就任している。タクシン元首相が首相在任中から、両者の関係は親密であることが知られていた。
2013年9月24日、先の総選挙により選出された国民議会(下院)は野党がボイコットする中、与党議員68人の全会一致でフン・センを首相に再任し、新内閣を承認した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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