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フーシャング・シャー : ミニ英和和英辞書
フーシャング・シャー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フーシャング・シャー : ウィキペディア日本語版
フーシャング・シャー[ちょうおん]

フーシャング・シャー(Hoshang Shah, 生年不詳 - 1435年)は、インドマールワー・スルターン朝の君主(在位:1405年 - 1435年)。即位前の名をアルプ・ハーン(Alp Khan)といった。
==生涯==
1405年マールワー・スルターン朝を創始した父ディラーワル・ハーンが死亡し、
息子のフーシャング・シャーが王位を継承した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160〕。
即位後すぐ、1407年にフーシャング・シャーはグジャラート・スルターン朝との戦いに敗北し、捕虜となった〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.172〕。だが、マールワーの支配が困難であったため、フーシャング・シャーは解放された〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.172〕。これを機に、グジャラート・スルターン朝はマールワー・スルターン朝にとって危険な存在となり、以後両国の争いが続いた〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.172〕。
フーシャング・シャーは首都をダールからマーンドゥーから遷都した〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.174〕〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160〕。マーンドゥーはヴィンディヤー山脈の上、全長40キロメートルの城壁に囲まれた都市であった。
フーシャング・シャーの治世、宗教的寛容策がとられ、この時代に建てられたラリトプル寺院の碑文からはヒンドゥー寺院の建設に制限が掛けられたことはなかったという〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.175〕。また、ラージプートのマールワーへの移住を奨励し、メーワール王国の君主モーカルの2人の兄がマールワーにジャーギールを与えられた〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.175〕。
また、フーシャング・シャーはこの地域の主要な商人かつ銀行業者のジャイナ教徒も保護した〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.175〕。そのうち成功した商人のナルデーヴァ・ソーニは王の財務官、顧問官の一人になった〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.175〕。
1435年、フーシャング・シャーは死亡し、息子のムハンマド・シャーが王位を継承した。だが、翌年に彼は宰相マフムード・ハーン・ハルジー暗殺された〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フーシャング・シャー」の詳細全文を読む




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