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フージース : ミニ英和和英辞書
フージース[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フージース ( リダイレクト:フージーズ ) : ウィキペディア日本語版
フージーズ[ちょうおん]

フージーズ(''The Fugees'')は、アメリカ合衆国の3人組ヒップホップ グループ1990年代半ばに人気を博した。
彼らの楽曲は、ヒップホップを中心として、そこにソウルカリブ系音楽(特にレゲエ)の要素を取り入れている。メンバーは、ラッパー/歌手ワイクリフ・ジョンリーダーを務め、同じくラッパー/歌手のローリン・ヒル、そしてラッパーのプラーズ。ワイクリフ・ジョンとプラーズのルーツはハイチにあるが、ローリン・ヒルはニュージャージー州 サウスオレンジの出身である。
グループの名は、「難民(refugee)」に由来する。
==来歴==
グループ最初のアルバムは『ブランテッド・オン・リアリティ』であり、そこから2枚のアングラヒット・シングル「ナッピー・ヘッド」と「ボキャブ」が発表されたが、アルバム自体は普段から彼らの生のパフォーマンスを目にしてきたファンたちを満足させるには至らなかった。
しかしそれに続いて発表されたアルバム第2弾『ザ・スコア』が、1996年最高の売上げを記録した1枚となった。
フージーズの特徴は、思いもよらないような曲をカバーしたり、珍しい音源からサンプリングをすることである。例えば、『ザ・スコア』の中には、ボブ・マーリーの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」や、ロバータ・フラックの「キリング・ミー・ソフトリー(ウイズ・ヒズ・ソング)」(邦題「やさしく歌って」)のカバーが収められている。また、彼らは、エンヤの「ボアディケア」を無断でサンプルしたヒット曲「レディ・オア・ノット」において、ザ・デルフォニクスの「レディ・オア・ノット・ヒア・アイ・カム」の再解釈を行った。この曲は訴訟沙汰を引き起こし、彼らはエンヤに対して、クレジットの明記と著作権使用料の支払いを行うことになった。また、バウンティ・キラーを客演に迎えた「キリング・ミー・ソフトリー」のリミックス・バージョンもロバータ・フラックからの抗議を受け、ついに正式リリースに至らなかった。フージーズは、幾度にも渡り、エンヤが事情をきちんと理解してくれたことに対して感謝の意を示している。
1997年、グラミー賞において、『ザ・スコア』がベストアルバム賞を、その中に収められているシングル「キリング・ミー・ソフトリー・ウイズ・ヒズ・ソング」がベストR&Bグループ賞を獲得した。これ以降、フージーズはソロ活動を優先させていった。
ローリン・ヒルは、ソロアルバム『ザ・ミスエデュケーション・オブ・ローリン・ヒル (The Miseducation of Lauryn Hill)』が絶賛された。ワイクリフ・ジョンは、キャニバスディスティニー・チャイルドカルロス・サンタナなどの数多くのアーティストたちのプロデュース活動を行いながら、自身のソロアルバム第1弾『カーニバル』を発表した。またプラーズは、マヤオール・ダーティ・バスタードと共に、ウォーレン・ベイティハル・ベリー主演映画『ブルワース』のサウンドトラック曲「ゲト・スーパースター」を発表した。互いにソロ活動を成功させていくにつれ、グループとして活動が難しくなっていく。メンバー同士の不仲説が解散理由として噂されているが、詳しくは不明。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フージーズ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fugees 」があります。




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