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ブッチホンとは、「プッシュホン」のもじりで、当時内閣総理大臣であった小渕恵三の「渕」(ぶち)と電話(telephone/テレフォン)の「フォン」を掛け合わせた造語。 総理大臣の小渕が〔『首相支配』 126-127頁。〕著名人にかけた電話のことを指し〔『首相支配』 121-123頁。〕、それがあまりにも唐突でフランクなために電話を受けた相手が当惑したという。小渕はこの言葉で1999年度の新語・流行語大賞(年間大賞)を受賞している〔『首相支配』 122頁。〕。発足当初は戦後最低の支持率を記録した小渕内閣は、1999年5月に支持率が不支持率を上回り、同年9月には51%まで上昇した〔『首相支配』 122-123頁。〕。 == ブッチホンを受けた人物 == * 樋口廣太郎 - 経済戦略会議の議長就任を依頼される。 * 瀬戸内寂聴 - 2000円札の絵柄について相談される。 * 佐野眞一 - 小渕の伝記執筆中、自身のテレビ番組を激賞される。佐野は「これは端倪すべからざる人心収攬術だとおもった」としるしている〔。 * 土屋賢二 - 小渕が土屋の書いたエッセイを好んで読んでいたため。 * 小室哲哉(2000年1月21日) - 沖縄サミットのテーマソング作曲を依頼。 * 福岡政行 - 首相官邸で開催された2000年の新年祝賀会に招待される。 * 江崎玲於奈 - 教育改革国民会議の座長就任を依頼される。 * 石川好 - 景気対策の問題について相談される〔アエラ 2000年7月3日号 p.29〕。 * 市原愛(ソプラノ歌手) - 第71回選抜高等学校野球大会の開会式で独唱した「君が代」に感銘を受けて〔毎日新聞 2002年2月7日付 東京朝刊 24面〕。 * 川島純(駐ニュージーランド大使) - 2000年問題についての確認。当初はヘレン・クラーク首相にブッチホンする予定であったが、2000年を祝う式典参加のため不可能になった。 * 15代沈壽官(陶芸家) - 小渕が日韓閣僚懇談会で鹿児島県東市来町美山を訪れた際、ホスト役を務めた〔毎日新聞 2000年5月15日付 地方版 鹿児島〕。 * 松原武久 - 2005年日本国際博覧会開催に関連するごみ問題について〔毎日新聞 2000年5月15日付 中部朝刊 25面〕。 * 実川元子(翻訳家) - 毎日新聞に掲載されたコラムで小渕の背広について書いたことから〔毎日新聞 2000年4月6日付 東京朝刊 30面〕。 * 安斎隆(アイワイバンク銀行社長)〔毎日新聞 2001年5月24日付 東京朝刊 3面〕 * 寒川猫持(歌人)〔毎日新聞 2000年5月24日付 大阪朝刊 16面〕 * 江村利雄〔毎日新聞 2000年5月15日付 大阪朝刊 29面〕 * 山下惣一〔朝日新聞 2000年4月13日付 朝刊 27面〕 * 小泉美喜子(「月刊神戸っ子」編集長) - 小渕に贈呈した自著『ここに神戸がある』を読み感銘を受けて〔読売新聞 2000年5月15日付 大阪朝刊 32面〕 * 堺屋太一(1995年1月18日/1998年7月)〔朝日新聞 2004年4月22日付 夕刊 1面〕 * 竹原信夫(「“日本一”明るい経済新聞」編集長) - 関西経済連合会の会長が小渕に新聞を渡したため〔朝日新聞 2003年1月1日付 朝刊 1面〕 * 山瀬まみ - テレビ番組でブッチホンを紹介した際に、「人柄がよさそうな小渕さん」とコメント。それに答えるように「人柄のよい小渕です」とかかってきた。そのことを次週のテレビ番組で語った。 * 京都橘女子高等学校(2000年3月6日) - 生徒の政治に関する意見を纏めた卒業文集を首相官邸に送ったお返しに(ブッチホン以外に小渕自らが毛筆で署名した手紙も届いた)〔読売新聞 2000年5月15日付 大阪朝刊 32面〕〔朝日新聞 2000年3月7日付 朝刊(京都)27面〕 。 * ズームイン!!朝!(2000年1月5日) - 番組中に突然生電話(午前7時16分頃)〔ブッチホン「ズームイン朝」に乱入 、スポーツ報知、2000年1月5日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕 * サンデープロジェクト(2000年1月9日) - 同上 * 早野透(『朝日新聞』記者) - 自分が書いた記事の感想を伝えるためにかかってきた。早野は記事内で小渕を批判していたが、小渕は励ましと受け取ったという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブッチホン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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