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ブドウパンモデル : ミニ英和和英辞書
ブドウパンモデル
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ブドウパンモデル : ウィキペディア日本語版
ブドウパンモデル

ブドウパンモデルまたはプラムプディングモデル()とは、1897年に電子を発見していたJ・J・トムソンが、(まだ原子核が発見されていなかった)1904年に提唱した原子の内部構造に関する原子模型である。この模型では、正の電荷のスープの中に負の電荷を持った微粒子(すでに1894年に G. J. Stoney が "electron" という呼称を提唱していたが、トムソンはまだ "corpuscles" と呼んでいた)が散らばっていて、全体として電荷の均衡が保たれているとしている。ちょうどプラムの果実が負の電荷を持つ粒子で、それが正の電荷を持つ「プディング」に取り囲まれているようであることから「プラムプディングモデル」と名付けられた。日本では当時「プラム」も「プディング」もなじみがなかったため「ブドウパン」と訳された。電子は原子内で静止しているわけではなく、環状の軌道を描いて運動しているとされた。
それまでトムソンは原子が非物質的な渦巻で構成されているとする「星雲原子 (nebular atom)」仮説を提唱していた。ブドウパンモデルでは負の電荷を持つ微粒子が導入されたものの、正の電荷を担っているのが何なのかがわからず、相変わらず星雲のようなあやふやな定義に留まっていた。
1904年のトムソンのモデルは、1909年のガイガー=マースデンの実験で反証(ラザフォード散乱)が示され、1911年にアーネスト・ラザフォードがその解釈をする過程で否定された。すなわち、原子には非常に小さな核となる部分があり、そこに正の電荷が集中していることがわかった(金の場合、電子約100個に対応する正の電荷があることが判明した)。これによりラザフォードの原子模型が新たに提唱された。1913年、ヘンリー・モーズリーが原子核の電荷と原子番号が非常に近いことを示し、Antonius Van den Broek が原子番号は原子核の電荷と等しいということを示唆した。同年、ボーアの原子模型が提唱され、原子番号と等しい正の電荷を持つ原子核の周りをそれと同じ個数の電子が球状の軌道殻上で運動しているという原子模型が確立された。
トムソンの原子模型はイギリスの伝統的な菓子であるプラムプディングのようであることから、そのように名付けられた(トムソン本人の命名ではない)。トムソンの論文は1904年3月、学術雑誌 ''Philosophical Magazine'' に掲載された。トムソンは次のように記している。
この原子模型では、電子は正に帯電した滴または雲の中で自由に回転できるとされた。電子が大きな軌道を描くとその内側の正の電荷の量が大きくなるため、内側に引っ張られる力が強くなり(ガウスの法則)、軌道が安定するとされている。トムソンの原子模型では電子は環状の軌道を描いて自由に運動しており、電子同士の相互作用でさらに軌道が安定するとされ、スペクトル線は異なる環状軌道間のエネルギー差によって説明される。トムソンはいくつかの元素の既知の主要なスペクトル線をこの模型で説明しようとしたが、あまりうまくいかなかった。いずれにしてもトムソンのブドウパンモデル(および同じ1904年に長岡半太郎が提唱した土星型原子模型)は、後のボーアの原子模型へと至る重要な一歩だったと言える。
== 脚注・出典 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブドウパンモデル」の詳細全文を読む




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