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ブライラ : ミニ英和和英辞書
ブライラ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ブライラ : ウィキペディア日本語版
ブライラ

ブライラルーマニア語:Brăila、、)は、ルーマニア東部ブライラ県の県都。ムンテニア地方に属し、ドナウ河岸港を持つ。ドナウ川を挟みガラツィと近接する。
==歴史==

ワラキアにおいてドナウ左岸のこの地に定住地が現れたのは、スペインで1350年頃に書かれた『リブロ・デ・コノスシミエント』(''Libro de conoscimiento''、知識の本)においてスペイン語の市名ドリナゴ(Drinago)と記載された時である。また、14世紀にカタルーニャで書かれた航海図にも登場した。これは、ブリラゴ(Brillago)を間違って翻訳したものであろう。当時のギリシャ語での雑な文書では、市はプロイラブム(Proilabum)かプロイラヴァ(Proilava)とされている。これはスラヴ語での地名ブライロフ(Brailov)をギリシャ語表示したものである。ドイツ語の文献では、Uebereylと記載されていた。名前の発祥、意味ともに不明である。
カザー(Kaza、オスマン帝国の行政区画)として、町と周辺一帯は1538年-1540年から1829年までオスマン帝国に支配されていた(アッカーマン協定の結果ワラキアへ復帰した)。トルコ時代の呼び名は、ウブライル(Ibrail)かウブライラ(Ibraila)であった。モルダヴィア公シュテファン3世(シュテファン大公)によって1470年2月2日、町は攻撃され、略奪され、火を放たれた。これは、オスマン帝国と同盟関係にあったワラキア公ラドゥ美男公en)に対する報復のためであった。1595年から1596年にかけては、事実上ワラキア公ミハイ勇敢公の支配下にあった。
19世紀、ブライラの川港は、ワラキア内にある川港としてトゥルヌ・マグレレジュルジュに並ぶ重要港となった。ブライラの偉大な繁栄の時代は、19世紀終わりから20世紀初頭にかけてで、ルーマニアへ商品の多くが集まり国内へ運ばれていく重要港であった。
1989年のルーマニア革命の後、ブライラの経済衰退の時代は終わりを告げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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