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ブラインド・ウィリー・ジョンソン : ミニ英和和英辞書
ブラインド・ウィリー・ジョンソン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ブラインド・ウィリー・ジョンソン : ウィキペディア日本語版
ブラインド・ウィリー・ジョンソン[ちょうおん]

ブラインド・ウィリー・ジョンソン("Blind" Willie Johnson, 1897年1月22日 - 1945年9月18日)は、主に1920年代のアメリカで活躍した、ゴスペルミュージシャン、ブルースギタリスト。宣教師としても知られた。
ブラインド・ウィリー・ジョンソンはゴスペル音楽界の先駆的存在であり、ギター・エヴァンジェリスト(ギター弾き語りの福音伝道師)として知られ、世俗的な音楽であるブルースは一切吹き込んでいない。
しかし、偉大なスライドギター奏者だったジョンソンのレコードは、ゴスペル界だけでなくブルース界にも多大な影響を与えた。歌詞の内容が宗教的なものであっても、容赦なくリズムを刻むギターとしわがれたヴォーカルは、初期のブルース歌手たちの強烈さに極めて近かった。その名前はスライド・ギター弾きたちやブルース・ファンたちから一様に畏敬の念とともに語られる。
ペンタトニック・スケールを使った、あふれんばかりの歓喜に満ちたメジャー調のメロディと、同様に印象的なマイナー調の作品を交互に演奏し、低音の効いたしわがれ声で歌い、それがごくたまにより心地よい中音域の声になるのだった。
彼のライヴ・パフォーマンスには時おり女性ヴォーカリストが参加していたが、たいていはソロで行われ、低音弦中心のフィンガー・ピッキングと正確なスライド奏法を織り交ぜたバッキング・ギターも自分で弾いた。彼が生涯を通じてレコーディングした作品は全部あわせても、時間にしてせいぜい90分そこそこであり、すべてが20年代後半にレコーディングされたものだが、その残された作品は、いかに頑なな悲観論者でさえも心を開かざるを得ないような無垢な魂と慎ましやかな精神が込められている。
彼は1927年から30年にかけてコロンビアで30曲を録音している。しかし、世界恐慌以降、レコード購買者が激減し、何曲かは1932年にヴォカリオンで再発売されたものの、その後ジョンソンにレコーディングの機会が再び訪れることはなかった。彼は1945年に亡くなるまでテキサス州ボーモントで暮らし、教会の集まりや街角で歌い続けた。死因は肺炎で、病院に連れて行かれたが病院側は盲目である事を理由に診察を拒否したという。
死後数十年経った1977年ボイジャー計画におけるボイジャーのゴールデンレコードベートーベンモーツァルトと並び"Dark Was the Night, Cold Was the Ground"が収録されている。
== 関連項目 ==

* ゴスペル (音楽)
*ブルース




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブラインド・ウィリー・ジョンソン」の詳細全文を読む




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