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ブラジルの歴史(ぶらじるのれきし)は、約8000年ほど前、最初のアメリカ大陸先住民の移住者が現在のブラジルに定住した頃にさかのぼる。文書記録を伴う歴史は1500年のポルトガル人の来航をもって始まる。以後の歴史はポルトガル領(1500年-1815年)及びポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国(1815年-1822年)時代、ポルトガルのブラガンサ王室皇太子を皇帝に推戴して独立した帝政時代(1822年-1889年)、帝政を打倒した共和政時代(1889年-現在)に大別される。 1532年、とに初めて恒久的な入植地が築かれた。16世紀から18世紀にかけてブラジルはポルトガルの植民地であり、「発見」初期にはブラジルの木、のちには沿岸部のプランテーションでのサトウキビの生産や、内陸部での黄金採掘が主な産業であった。この時期に沿岸部のインディオはほぼ絶滅し、労働力として大量の奴隷がアフリカから連行された。1822年9月7日にブラジルはポルトガルからの独立を宣言し、立憲君主制を取るブラジル帝国が成立した。ポルトガル王室に連なるこの国家は、軍事クーデターにより1889年11月15日に共和制に移行し、1891年に共和国憲法を発布した。以後ブラジルは現在に至るまで法律上は民主主義国家であるが、三度にわたる独裁政治政権を経験している。 == 先コロンブス期 == 現在のブラジルの地に人間が居住したのは、アジアからベーリング海峡を渡った人々が、紀元前8000年頃に現在のブラジルに到達したのが最古のものであると確認されている〔ブラジル高校歴史教科書は「現在のミナスジェライス洲ラゴーアサンタ地方で発見された、石斧、石槌、水晶の破片、貝塚がその証拠である。」と書いている。シッコ・アレンカール他著、明石書店 2003年 21ページ〕。1492年のクリストヴァン・コロンボのアメリカ大陸到達以前(先コロンブス期)において、現在のブラジルに相当する地域には、遠く離れたタワンティンスーユ(インカ帝国)の権威は及ばず、この地には原始的な農耕を営む・グアラニー族・アラワク族系の、後にヨーロッパ人によって「インディオ」(インド人)〔「インディオという用語自体、スペイン人が造り出したものであり、インディアス(アジア)に到達したという誤解の産物である。」シッコ・アレンカール他著 明石書店 2007年 21ページ〕と名づけられる人々が暮らしていた。一般に、先住民(現在生きている先住民含む)は、原始共同体〔先住民の生活は、夫婦と子ども単位で暮らし、弓矢や石斧などの労働用具は個人の所有物であり、畑を耕したり、狩猟・漁労に頼っていた。全員が働き、性別や年齢に基づいた分業が行われ、女性は料理したり、育児をしたり、畑で作物を栽培したりし、収穫時は男性も協力した。一方、男性は、戦争、狩猟、漁労、土地を開墾し畑用地を獲得することなどに従事した。伐採後の樹木は焼かれ、今日の「焼き畑」に相当し、現代も農村部で行われている。このような社会に社会階級はなく、競争はそれほど激しくなく、連帯を大切にし、村落の首長も労働は義務であった。老人の生き方についてはアーサー・ベンの映画『小さな偉人』(1970年)に表現されているという。シッコ・アレンカール他著 明石書店 2007年 23-25ページ〕のもとで生活していた。 ポルトガル人到来直前の時点でこうした先住民の人口は、沿岸部だけで100万人から200万人と推定されている〔増田編(2000:131)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブラジルの歴史」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 History of Brazil 」があります。 スポンサード リンク
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