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ブラックフット族 : ミニ英和和英辞書
ブラックフット族
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ブラックフット族 : ウィキペディア日本語版
ブラックフット族

ブラックフット族(Blackfoot)は、北アメリカ大陸の3つの先住民族の総称。カナダではサスカチュワン州アルバータ州ブリティッシュコロンビア州の3州で暮らすファースト・ネーションである。また、アメリカ合衆国のモンタナ州でもネイティブアメリカンの一部族として存在する。カナダではシクシカ族(Siksika)、カイナイ族(KainaiまたはKainah)、北ピーガン族の3つに分かれており、アメリカ合衆国では南ピーガン族がモンタナ州で暮らす。これらの部族の連合はブラックフット連合またはNiitsitapiと呼ばれる。
歴史的には、グレートプレーンズの北部、具体的にいうと短草プレーリーの半乾燥地域でバッファロー(アメリカバイソン)を狩猟したりサケやマスを釣る非定住民族であった。彼らはバイソンの群れを追い、アメリカからカナダへ、はるか北のボウ川まで移動した。18世紀前半、白人の交易商人や同盟関係にあったクリー族やアシニボイン族から馬や銃器を入手した。ブラックフット族は周辺の部族を犠牲にして領土を拡張していった。馬に乗ったことで、ブラックフット族や平原で暮らす他の部族はバッファローを狩る範囲を広げることができた。
19世紀になると白人のハンターにより、営利目的のバッファローの狩猟が組織的に行われた。グレートプレーンズでのネイティブアメリカンの生活は、彼らの食料源であったバイソンの群れがほぼ絶滅し、もはや十分でなくなったために永久に変わってしまった。飢えや貧困の期間を経て、ブラックフット族は畜産や農業への適応をし、保留地に定住することを強いられた。1870年代、アメリカ合衆国とカナダの両政府と条約を結び、食料の支援や医療扶助、さらに農業の習得を援助する代わりに領域の大半を割譲した。それにもかかわらず、アメリカとカナダの両方で同化政策に直面しながらも伝統的な言語や文化を守ってきた。
== 連合 ==

ブラックフット族は親族や方言をもとに集まった3つの部族から連合を構成していたが、彼らは全て共通の言語である、アルゴンキン語族のブラックフット語を話す。その3部族とは、Piikáni(英語の資料ではピーガン・ブラックフィートと表記されていた)、Káínaa(ブラッド族)、Siksikáwa(ブラックフット)である。後に、ツー・ツィナ族(サーシー族)と同盟を結び、一時はグロヴァント族とも同盟関係にあった。
彼らは多くのバンドに分かれており、10から30のティピーに80人から240人が暮らすという分散した部族だった。バンドは狩猟や防衛のために組織された基礎的な構成単位であった。
ブラックフット族の連合の中で最大の部族はピーガン族(Piegan、PeiganまたはPikuni)である。部族名はブラックフット語のPiikániに由来する。ピーガン族は現在のアルバータ州で暮らす北ピーガン(Aapátohsipikáni、もしくは単にPiikáni)とモンタナ州の南ピーガンまたはピーガン・ブラックフィート(Aamsskáápipikani)に分かれている。かつてはInuk'sikという、力のある大きな部族もモンタナ州南西部に存在した。現在は南ピーガン族のバンドの一つとして存在するのみである。
現在のカイナイ族はブラックフット語のKáínaaに由来し、「多くの酋長の部族」という意味である。歴史的にはブラッド族と呼ばれたが、これは平原クリー語でカイナイ族を表すMiko-Ewが「血に染まった」(言い換えれば残虐、冷酷な)という意味であることに由来する。英語ではブラッド、またはブラッド族という呼称が一般的である。
シクシカ族(Siksiká)はブラックフット語のsik(黒)とiká(足)を組み合わせた言葉が由来である。複数形ではSiksikáwaとなる。彼ら自身は「平原の部族」という意味のSao-kitapiiksiと自称した。
サーシー族は自分自身を「大勢の人々」という意味のツー・ツィナと呼ぶ。ブラックフット族は彼らと対立していた初期に「頑固な人」という意味のSaahsiまたはSarsiで呼んだ。サーシー族は言語的には全く違うアサバスカ諸語に属している。彼らの大半は亜北極の北カナダで暮らしている。
グロヴァント族はHaaninin、またはA'aninin(白い粘土の人)と自称した。フランス語では「太った腹」という意味のグロヴァント(Gros Ventres)、英語ではフォール・インディアンと呼ばれる。ブラックフット族は長年の敵意から、Piik-siik-sii-naa(蛇)やAtsina(クリー族のような人)と呼んだ。初期の研究者は、A'anininはアラパホと関連があり、ミズーリ州の平原からコロラド州やワイオミング州に移動したと考えた〔"The Blackfoot Tribes", ''Science'' 6, no. 146 (November 20, 1885), 456-458, .〕。1793年頃〜1861年頃まではブラックフット族と同盟関係にあったが、意見の相違があり、それ以来敵対している。
アメリカとカナダに国境が引かれる前の19世紀、ブラックフット族は狩猟をしたり食糧を探す領域を占有していた。しかし19世紀後半、両国の政府は彼らの伝統的な移動生活をやめさせ、インディアン居留地に定住することを強制した。南ピーガン族のみがモンタナ州に定住することを選んだ。ブラックフット語を話す他の3部族とサーシー族はアルバータ州に定住した。ブラックフット語を使う人々は自分自身をNiitsítapi(最初の人)と呼んだ。グロヴァント族は連合を離脱してから、モンタナ州の居留地に落ち着いた。
部族の社会構造は、移動生活をやめるように強いられたことで変わった。以前はほとんどが民族的な連合であったが、アメリカでは部族(tribe)、カナダではバンドまたはファースト・ネーションという名前で、政府として制度化された。ピーガン族は北ピーガン族がカナダのアルバータ州に、南ピーガン族がアメリカのモンタナ州に分かれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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