|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 方 : [ほう] 1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way ・ 方程式 : [ほうていしき] 【名詞】 1. equation ・ 程 : [ほど] 1. (n-adv,n) degree 2. extent 3. bounds 4. limit ・ 式 : [しき] 1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style
ブラック–ショールズ方程式(ブラック–ショールズほうていしき、)とは、デリバティブの価格づけに現れる偏微分方程式(およびその境界値問題)のことである。様々なデリバティブに応用できるが、特にオプションに対しての適用が著名である。ブラック-ショールズ方程式はヨーロピアンオプション〔満期日のみ行使可能なオプション。〕のオプション・プレミアム〔コール・オプションとプット・オプションの両方について。オプション取引参照。〕の計算には使用できるがアメリカンタイプのプット・オプション〔購入日から満期日までのいつでも権利行使することのできるオプション。その分、アメリカンプットオプションのプレミアムは割高になっている。 :行使日が分からないため価格付けが難しい(※)。良い計算方法が理論化できていない。しかし格子モデルや -アルゴリズムなどがよく用いられている (※)〕には使用できない。ただし、ブラック-ショールズモデルにおけるアメリカンコールオプションの理論価格はヨーロピアンコールオプションの理論価格と一致する〔, section 8.5〕。 ブラック–ショールズ方程式は1973年にフィッシャー・ブラックとマイロン・ショールズによりオプションの価格付け問題についての研究の一環として発表された。後にロバート・マートンが彼らの方法に厳密な証明を与えた。 == 歴史的背景 == オプション価格の評価についての研究は長い歴史がある。ファイナンス研究において先駆的な業績を残したことで知られるルイ・バシュリエは1900年に発表された博士論文の中でオプションの評価式を考察していた。しかし、彼の評価式は価格が負になることもありうるために非現実的であった。その後、1961年にCase Sprenkleが、1965年にポール・サミュエルソンが株価変動に幾何ブラウン運動を用いたオプション価格式を導出した。しかしながら、彼らの評価式はオプションの価格評価において、今日で言う所のリスクの市場価格を明示的に表現できなかった為に、実用性に乏しいものであった〔, pp.1148-1149.〕。 1965年にアーサー・D・リトルで職を得たフィッシャー・ブラックは同社に在籍していたCAPMについての研究で知られるの影響の下、ワラントの評価式についての研究を行っていた。その中で1969年頃に、ブラック–ショールズ方程式の前段階となるようなワラントについての評価式の導出に成功していた。これにはサミュエルソンやロバート・マートンによる多期間においての株式と債券の最適投資比率を決定する問題(マートンのポートフォリオ問題)についての研究に大きく影響されたとブラックは述べている。しかし、ブラックはこの方程式が熱伝導方程式の一種であることには気付かず、解を導出できずにいた。ただ、ブラックはこの方程式について考察を深める中で、株式の期待リターンにワラントの価値は依存しないこと、つまりワラントの価値を決定する上で重要なのは株式全体のリスク(ボラティリティ〔株価の変動の激しさ〕)であることに気付いている〔。 また、時を同じくして1969年ごろにマサチューセッツ工科大学(MIT)に所属していたマイロン・ショールズとブラックは知り合い、ショールズの紹介によりブラックはMITに職場を移した。そこからブラックとショールズの共同研究が始まり、ワラントの研究から転じたオプションの評価式についての研究は急速に進展した〔。 同時期にオプション評価式の研究に取り組んでいたマートンとの議論はブラックとショールズの研究に大きな影響を与えている。両者の関係は共同関係であり、またライバル関係であったとブラックは述べている。そのような中でブラックとショールズは伊藤清らにより創始された確率微分方程式の理論とマートンとの議論によってもたらされた複製ポートフォリオの概念を用いて導出されたブラック–ショールズ方程式の解を見出すことに成功した。ブラックとショールズは1970年の夏に開かれたカンファレンスでコーポレートファイナンスにおいてのブラック–ショールズ方程式の応用についての研究成果を発表したが、マートンは寝坊してしまい、ブラックとショールズの発表を聞くことが出来なかった〔。 1970年の10月にブラックとショールズはオプション評価式としてのブラック–ショールズ方程式の利用についての研究をまとめた論文をシカゴ大学が発行している学術雑誌であるに投稿したが、彼らの論文はが発行しているに投稿する方がふさわしいということで掲載拒否となってしまった。その後、しばらく論文を学術雑誌に発表できずにいたが、シカゴ大学のマートン・ミラーとユージン・ファーマの目に留まり、彼らのアドバイスを受けて修正された論文が1973年にJournal of Political Economyで投稿を受理され発表された。これが広く知られる"''The Pricing of Options and Corporate Liabilities''"〔の論文である〔。 その後、マートンは無裁定価格理論の厳密な理論を展開した論文〔を発表し、さらにブラックとショールズ自身によってブラック–ショールズ方程式の実用性、データに対する当てはまりの良さが検証されたことで、ブラック–ショールズ方程式は不動の地位を確立した〔。今日では"''The Pricing of Options and Corporate Liabilities''"はJournal of Political Economyで最も引用される論文の一つとなっている〔Journal of Political Economy: Home 〕。 これらの功績を称え、1997年のノーベル経済学賞はショールズとマートンに授与された。ブラックは1995年に亡くなっていたために、この栄誉にあずかることはできなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブラック–ショールズ方程式」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|