翻訳と辞書
Words near each other
・ ブランシェ・ド・フランス
・ ブランシャール
・ ブランシャール夫人
・ ブランシュ
・ ブランシュたかやまスキーリゾート
・ ブランシュ・スウィート
・ ブランシュ・スコット
・ ブランシュ・ダルトワ
・ ブランシュ・ダンティニー
・ ブランシュ・デヴルー
ブランシュ・ド・カスティーユ
・ ブランシュ・ド・ナミュール
・ ブランシュ・ド・ナヴァル
・ ブランシュ・ド・ナヴァール
・ ブランシュ・ド・ナヴァール (1177-1229)
・ ブランシュ・ド・ナヴァール (1226-1283)
・ ブランシュ・ド・フランス
・ ブランシュ・ド・フランス (オルレアン公爵夫人)
・ ブランシュ・ド・フランス (オーストリア公妃)
・ ブランシュ・ド・ブルゴーニュ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ブランシュ・ド・カスティーユ : ミニ英和和英辞書
ブランシュ・ド・カスティーユ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ブランシュ・ド・カスティーユ : ウィキペディア日本語版
ブランシュ・ド・カスティーユ[ちょうおん]

ブランシュ・ド・カスティーユ(Blanche de Castille, 1188年3月4日 - 1252年11月26日)は、フランスルイ8世の王妃。カスティーリャアルフォンソ8世と王妃レオノールの三女としてパレンシアで生まれた。スペイン名ではブランカ・デ・カスティーリャ(Blanca de Castilla)。結婚後からルイ8世の外交に口を挟むようになり、1226年に12歳で即位した息子ルイ9世の摂政として長きにわたりフランスの政治に影響を及ぼした。
== 生涯 ==

=== 政略結婚 ===
1200年、フランス王フィリップ2世イングランドジョンの間に和平が結ばれると、ブランシュの次姉ウラカとフランス王太子ルイとの婚約が提案された。2人の祖母であるイングランド王太后アリエノール・ダキテーヌは、2人にこの婚約話を知らせにカスティーリャを訪れ、ブランシュの資質がフランス王妃に向いていると判断した。異説では、「ウラカ」がフランス語にない名前のため、宮廷の吟遊詩人らのからかいの的になるといけないからとブランシュが選ばれたという話もある(姉ウラカはポルトガルアフォンソ2世の王妃となった)。
1200年春にブランシュはフランスへ行き、5月に条約が最終的に結ばれた(en)。ジョン王は姪と共に、王領として保持していたベリーイスーダンとグラセ、およびシャトールー領主アンドレ・ド・ショヴィニーを引き渡した。その翌日にフランス領ではなく、ジョンの領土であるセーヌ川右岸のポールモールで結婚式が行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブランシュ・ド・カスティーユ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.