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ブランデンブルクの奇跡(ブランデンブルクのきせき)とは、七年戦争においてプロイセン王国が存亡の危機に陥った時に、僥倖を得てその危機を脱した故事のことである。ブランデンブルクの奇跡と呼ばれる事柄は実は2つあり、有名なわりによく混同される。 == 奇跡の内容 == 1759年8月12日、フリードリヒ大王率いるプロイセン軍はクーネルスドルフの戦いで惨敗を喫した。オーストリアとロシアの連合軍によって2万近い将兵を失った大王はかろうじてオーデル川左岸の小村に逃れたものの、つき従う軍勢は3千に過ぎず、事態はもはや絶望的と思われた。大王はベルリンの留守を預かる大臣のカール・ヴィルヘルム・フィンク・フォン・フィンケンシュタインにあてて手紙を書いた〔クーネルスドルフの戦い英語版から。この手紙の文章は有名で抜粋が多数の書物に掲載されている。〕。 大王はロシア軍とオーストリア軍が最終的な決着をつけるべく攻撃してくると考え、王位継承者に甥のフリードリヒ・ヴィルヘルムを、軍の最高指揮官に弟のハインリヒをそれぞれ指名し、部隊の指揮をフリードリヒ・アウグスト・フォン・フィンクに委ねると、自身は「生きて祖国の滅亡を見るつもりはない」姿勢を示した。 敵の攻撃を待つ数日の間に、敗走していた部隊が三々五々集結してきて大王は兵力を回復したが、予想された敵の攻撃はなかった。そのしばらくの間に大王も敗戦の精神的衝撃から立ち直り、「ひたすら国家のために」戦い抜くことをあらためて決意すると、ハインリヒに手紙を書いた〔 S.フィッシャー=ファビアン 著\尾崎賢治 訳『人はいかにして王となるか』Ⅱ 132頁。〕。 こうして、プロイセンはひとつの危機を脱した。しかし戦争はまだまだ続き、大王はこの先も危ない綱渡りをしなければならなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブランデンブルクの奇跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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