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ブラ・クレプキナ : ミニ英和和英辞書
ブラ・クレプキナ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ブラ・クレプキナ ( リダイレクト:ベラ・クレプキナ ) : ウィキペディア日本語版
ベラ・クレプキナ


ベラ・クレプキナ(、ローマ字:Vera Samuilovna Krepkina、旧姓:Kalashnikova、1933年4月16日 - )は、旧ソビエト連邦の女子陸上競技選手。1950年代から1960年代初頭にかけて活躍した女子短距離、走幅跳選手。1960年ローマオリンピックの金メダリストである。ロシア共和国キーロフ州コテリニチ出身。
== 経歴 ==
クレプキナは19歳だった1952年に、初めてオリンピック出場を果たす。このヘルシンキオリンピックでは、100mと4×100mリレーに出場。100mは準決勝5位で敗退。4×100mリレーでは、3位のイギリスに10分の1秒及ばず4位と、惜しくもメダルを逃がす。
1954年、スイスベルンで開催されたヨーロッパ選手権では、4×100mリレーに出場し、45秒8で、2位の西ドイツに10分の5秒差をつけ、金メダルを獲得した。
2度目のオリンピックとなる、1956年メルボルンオリンピックでも、前回と同じく100mと4×100mリレーに出場。結果は前回とまったく同じで、100mは準決勝で5位止まり。4×100mリレーは決勝で4位と惜しくもメダルに手が届かなかった。
1958年、ストックホルムで開催されたヨーロッパ選手権でも100mと4×100mリレーに出場。100mは11秒7で、イギリスヘザー・アーミテージと同タイムながら着差があり2位となったものの、個人種目で初めてのメダルを獲得。さらに4×100mリレーでは、前回に引き続き2連覇を達成した。
クレプキナは、1960年、3回目のオリンピックとなるローマオリンピックに出場。100mは、前回と同じく準決勝で敗退(6位)。しかし、クレプキナは、100mのあと、3回目のオリンピックで初めて走幅跳に出場した。走幅跳はオリンピックの直前に2度の世界新記録(6m36、6m40)を樹立している東ドイツヒルドルン・クラウスメルボルンの金メダリストのポーランドエルジュビェタ・クシェシンスカらの前評判が高い種目であった。ところが、クラウスは、1回目の6m21を跳びトップに立ったが、この後記録が伸びず、クレプキナは3回目に6m22を跳び逆転すると、4回目には世界記録に迫る6m37のオリンピック新記録を出しさらにリードを広げた。クシェシンスカが6回目に6m27を跳び差をつめられたものの、そのまま逃げ切り、周囲も驚く金メダルを獲得した。また、4×100mリレーは、前2大会と同じくまたしても4位となりメダルを逃がしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Vera Krepkina 」があります。




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