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ブリストル 223は1950年代から1960年代にかけて、イギリスで研究された超音速輸送機の計画機である。イギリス政府の支援を受けたブリストル社によって研究が行われた。ブリストル 223は、乗客100名を載せ、マッハ2で大西洋を横断する旅客機の計画であり、同時期にフランスのシュド・アビアシオン社でほぼ同様の機体であるシュド シュペル・カラベルが計画されていたことから、両機の開発計画は統合され、1962年11月にコンコルドの開発計画へと発展した。 == 計画の推移 == 1950年代、イギリスの航空機業界は技術的、商業的に凋落傾向となっていた。ブリストル ブラバゾンは、能力的には充分なものを持っていたが、技術的には優秀ではなく、また大西洋横断航路の顧客にとっては必要以上に大きく高価であったため、商業的にも失敗していた。デ・ハビランド DH.106 コメットは世界初のジェット旅客機であったものの、一連の墜落事故を引き起こし、その原因究明を行っている間に、旅客機市場にはアメリカ製のボーイング707やDC-8が登場していた。 このような状態ではあったが、イギリスの航空機業界は、試験機を製作し、高速飛行に関する研究を行っていた。1950年代半ばまでに超音速巡航に適した揚抗比を持つ2つの機体デザインが研究された。一方のはアームストロング-ホイットワース社による鋭いM字翼であり、もう一方は細いデルタ翼であった。1956年頃には、これらの研究は政府の関心をひき、モーリン・モルガン卿率いる超音速輸送機委員会 (SATC: Supersonic Transport Aircraft Committee) は、超音速輸送機の開発・研究を行うこととなった。 1959年3月には、STACはイギリス政府に2種類の超音速輸送機を開発するように勧告した。一つはロンドン - ニューヨーク間をマッハ2で運航する150席の長距離機、もう一つは欧州内をマッハ1.2で運航する短距離機である。さらに高速のマッハ3の機体も開発可能性があったが、実用上はマッハ2.2が上限と考えられた。これは、マッハ2.2以上では機体を構成するアルミニウム合金が空力加熱によって強度不足となるためであり、新しい金属材料の開発必要性がでてくるためである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブリストル 223」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bristol Type 223 」があります。 スポンサード リンク
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