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ブルゴーニュ朝(スペイン語:Dinastía de Borgoña)は、1126年から1369年にかけてカスティーリャ王国及びレオン王国(1230年に事実上統合)を支配した王朝。スペイン語名に基づいてボルゴーニャ朝とも呼ばれるが、この王家はブルゴーニュ伯の家系(アンスカリ家)から出ており、カペー家系ブルゴーニュ家やポルトガル王国のブルゴーニュ(ボルゴーニャ)朝とは起源が異なる。また、ブルグント王国、ブルゴーニュ公国とも起源が異なるので、注意を要する。 1369年にはトラスタマラ家に取って代わられるが、この一門もブルゴーニュ家の庶流であり、血統上のつながりはある。 == 歴史 == === 王朝の成立、カスティーリャとレオンの分裂 === カスティーリャ=レオン王アルフォンソ6世は「ヒスパニア皇帝」を称したほど強大な覇権を握った人物だったが、息子に先立たれて女子しか残っておらず、ヒメネス朝最後の男系男子となった。1109年にアルフォンソ6世が死去すると嫡子であるウラカが女王となり、1126年にウラカが死去すると、最初の夫であるイヴレーア(アンスカリ)家出身のガリシア伯ライムンドとの息子アルフォンソ7世が王位に就く。これがブルゴーニュ朝の起こりである。 アルフォンソ7世も祖父同様に「ヒスパニア皇帝」として周囲の国々に宗主権を行使しようとした。しかし、アルフォンソ6世の庶子でウラカの異母姉妹であるテレサがポルトゥカーレ伯エンリケ(カペー系ブルゴーニュ家出身)との間にもうけた息子アフォンソが1139年にポルトガル王として即位し実質的に独立を果たしたことや、ムワッヒド朝の攻勢の前に、実質的な影響力を失った。1157年にアルフォンソ7世が死去すると、長男のサンチョ3世がカスティーリャ王、フェルナンド2世がレオン王となり、王国は分割された。 サンチョ3世の息子アルフォンソ8世はアラバ、ビスカヤ、ギプスコアを制圧し、一時はガスコーニュ地方も支配下に置いた。1179年にはアラゴン王国とカソルラ条約を結ぶことで両国の国境を定めている。そして、1212年にナバス・デ・トローサの戦いでムワッヒド朝に壊滅的な打撃を与えた。 他方、フェルナンド2世の息子アルフォンソ9世はヨーロッパ初とも言えるコルテス(身分制議会)を召集し、アルフォンソ8世の娘ベレンゲラと結婚している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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