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ブルックス・ロコモティブ・ワークス(Brooks Locomotive Works)は、19世紀のアメリカ合衆国ニューヨーク州ダンカークにあった、鉄道車両製造会社である。アメリカン・ロコモティブ(アルコ)への統合を経て、1869年から1934年までの間に多数の蒸気機関車や貨車を製造した。 == 歴史 == ニューヨーク・アンド・エリー鉄道 (NY&E) が1869年にダンカークからバッファローにその工場施設を移転させたとき、ダンカークはその最大の事業所を失うこととなった。その危機を救ったのは、1851年に初めてダンカークに通じる鉄道を建設したNY&Eの主任技師であった、ホレイショ・G・ブルックス(Horatio G. Brooks; 1828 - 1887)である。1869年、ブルックスはダンカーク工場の設備をNY&Eから借り受け、ブルックス・ロコモティブ・ワークスを設立した。この会社は、同年11月11日に正式に操業を開始し、翌月にはNY&Eが発注した製造第1号機関車が落成した。最初の2年間で、ブルックスは1ヶ月に7両ものペースで、1年目には37両、2年目には43両の機関車を製造し、NY&Eを含む当時の主要な鉄道会社のほぼ全てに納入された。 1873年の経営危機の後、新しい機関車の注文は減少したが、ブルックスは業績を回復することができた。数年後、ブルックスの機関車は、シカゴで国が開催した鉄道機械博覧会において、最優秀の評価を得ている。また、1884年2月22日には、1000両目の機関車を完成させた。 1890年代、ブルックスは再び売り上げが減少し、経営危機に陥った。1891年には226両の生産であったものが、1894年には90両にまで減少した。しかし、この経営危機は容易に回復することができなかった。そして同社は、1901年に他の7社の機関車製造会社と合併し、アルコが設立された。 アルコ成立後は、アルコ・ブルックス工場として知られるようになった。アルコはこの工場が、1934年に熱製品部門に改組されるまで、この工場で蒸気機関車を生産した。ブルックス工場では、蒸気機関車の完成品は製造されていなかったが、アルコ製機関車の予備部品の生産は継続して行なわれていた。そして、この工場の主製品は、蒸気機関車からあらゆるサイズの熱交換器や高圧容器、パイプに移っていった。 ブルックス工場の生産高は第二次世界大戦の後、戦前のレベルに戻ることはなく、アルコは1962年にこの工場を閉鎖した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブルックス・ロコモティブ・ワークス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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