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ブルムベア ()は、第二次世界大戦のドイツの自走砲である。ドイツ軍の制式名称はIV号突撃戦車 ()。歩兵の支援を目的とし、IV号戦車の車台をベースに製造された。正式名称ではないニックネームはブルムベア(『灰色熊』転じて『気難し屋』の意)。 == 歴史と概要 == ブルムベアは、IV号戦車を元に開発され、歩兵部隊に随伴し、特に市街地における大口径歩兵砲での直接火力支援を目的として設計された。 ドイツ軍にはこれ以前にも同様の任務にI号戦車やII号戦車、38(t)戦車の車台に15cm歩兵砲sIG33を搭載した各種自走砲を投入したが、これらの車輌は薄い装甲しか持たず防御力に乏しかった。さらに内部容積の不足による作業のしにくさ、エンジン出力の余裕の無さからくるアンダーパワーも問題となった〔山本「IV号突撃戦車"ブルムベア"」5頁〕。 またIII号突撃砲の装備する75mm砲ではこの任務に対して火力不足であり、不向きだった。そこで1941年12月から1942年1月、III号戦車シャーシに重装甲の完全密閉型戦闘室を構築し、15cm歩兵砲sIG33を搭載した33B型III号突撃歩兵砲が12輌生産された。1942年9月の総統会議において、この車輌は市街戦において建築物を数発で破壊できる火力が求められた。1942年10月13日までには総計24輛が完成した〔山本「IV号突撃戦車"ブルムベア"」6頁〕。 33B型を担当したアルケット社は、次にIV号戦車をベースにしたより本格的な同種の車輌を開発し、結果出来上がったのがブルムベアである。1942年10月、アルケット社は歩兵支援車輌の設計図をヒトラーに提示し、ヒトラーはこれを速やかに40輛から60輛生産するよう指示した。1943年2月、ヒトラーは模型写真を提示され、この車輌をツィタデレ作戦に投入できるよう、5月12日までに40輛製造するよう指示した。さらにヒトラーは20輛を追加生産するよう要望した〔山本「IV号突撃戦車"ブルムベア"」14頁〕。初期型に分類されるこれらの車輌は4月、5月中に一個大隊45輛の定数を揃え、ツィタデレ作戦へ投入された〔山本「IV号突撃戦車"ブルムベア"」59頁〕。 作戦後の1943年12月から「中期型」と呼ばれる改良型が生産に入った。厚さ80mmの車体前方下部装甲を持つIV号戦車H型シャーシが使われるようになり、主砲として砲身に一部変更が加えられ、長く軽量となったバージョンの StuH 43/1 L/12 が搭載された。修理のため後送された初期型でも、この砲に変更された車輌がある。ティーガー同様の操縦手用直視クラッペ(バイザーブロック)は廃止され、ペリスコープで前方を見るように変更された。 さらに新しい上部構造の「後期型」は1944年4月から生産され、6月からはIV号戦車J型用シャーシに変更された。車体前面装甲は車体幅一杯に広がった一枚板となり生産性が高められ、左上の張り出しにはMG34機関銃を搭載するためのボールマウント式銃架が取り付けられた。 ブルムベアはデュースブルクのドイチェ・アイゼンヴェルケにて総合的な組立が行われた。1943年4~5月に60輛生産された後、1943年12月から1945年3月までに246輛、計306輌が生産された。最初の生産分は既存のIV号戦車EおよびF型から改装された8輌、IV号戦車G型シャーシ使用で新造された52輌で、それ以降はH型またはJ型のシャーシを使用して生産された。ブルムベアはドイツの敗戦まで生産が続けられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブルムベア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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