翻訳と辞書
Words near each other
・ ブルース・ペレンズ
・ ブルース・ホーンズビー
・ ブルース・ボイトラー
・ ブルース・ボウエン
・ ブルース・ボウクレア
・ ブルース・ボウチー
・ ブルース・ボックスライトナー
・ ブルース・ボックスレイトナー
・ ブルース・ボテリョ
・ ブルース・ボーウェン
ブルース・ボーエン
・ ブルース・マクラーレン
・ ブルース・マグース
・ ブルース・マシューズ
・ ブルース・マッカンドレス
・ ブルース・マッカンドレス2世
・ ブルース・マッギル
・ ブルース・マルムース
・ ブルース・マンロー
・ ブルース・マーラー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ブルース・ボーエン : ミニ英和和英辞書
ブルース・ボーエン[ぶる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ブルース・ボーエン ( リダイレクト:ブルース・ボウエン ) : ウィキペディア日本語版
ブルース・ボウエン[ちょうおん]

ブルース・ボウエンBruce Bowen,Jr. , 1971年6月14日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州マーセド出身の元バスケットボール選手。身長201cm、体重91kg。ポジションはスモール・フォワードNBAサンアントニオ・スパーズなどに所属していた。マークされた選手が嫌になるほど粘着質なディフェンスと、ひたすらオープンになるのを待ちコーナーからの3ポイントシュートを狙う、というニッチな技術に特化した「職人」のような選手と評価された。2012年、ボウエンの12はスパーズの永久欠番となった。
== 経歴 ==
カリフォルニア州立大学フラートン校で4年間プレーし、通算得点で大学歴代12位、通算リバウンドで同7位を記録、1992-93シーズン(4年生時)には大学が所属する地区の1stチームに選出されたが、NBAドラフトにはかからなかった。
1993年大学卒業後、プロ生活の始まりはフランスリーグのル・アーブルエブルーブザンソンCBAを行き来する。
フランス時代は1試合平均28点でオフェンスの要。ボウエンがおよそ21歳~22歳のときのプレーを当時12歳~14歳、フランス出身でエブルーを近くに住んでいた現サンアントニオ・スパーズの正PGのトニー・パーカー が見ていた。
1996-97シーズンにマイアミ・ヒートで、NBAデビューを果たすが、この年は1試合、1分の出場に止まった。
1997-98、1998-99シーズンはボストン・セルティックスに所属。ボストンでの1年目は60試合に出場し(先発9回)、1試合平均の出場時間も20分を超えたが、翌年はケガもあり30試合の出場、平均出場時間も16.5分に止まった。
1999-2000シーズンはフィラデルフィア・セブンティシクサーズの一員として開幕を迎え、42試合に出場するが、出場時間は平均7.4分と前年を更に下回り、2月16日にはシカゴ・ブルズへと放出され、2日後に解雇となった。しかし直後にマイアミ・ヒートと契約、ヘッドコーチのパット・ライリーに「オフェンスで成功するのは遅すぎるが(当時28歳)、リーグで長く活躍したいのなら、全力をあげてディフェンス磨け、そして相手チームに恐れられるようなストッパーになれ」とアドバイスを受け、過去の名だたるペリメーターディフェンダー(レイカーズのマイケル・クーパーや76ersのボビー・ジョーンズら)のビデオを見てディフェンスのテクニックを研究した。そのディフェンスに対する努力を認められ、パット・ライリーに見出され27試合に出場、平均21分のプレータイムが与えられ、46.6%と高確率な、コーナーからの3ポイントシュートとディフェンスはヒート及び彼自身の強力な武器となった。
2000-01シーズンは全82試合に出場、うち72試合で先発とレギュラーに定着し、オールディフェンシブ2ndチームに選出される活躍で、大黒柱のアロンゾ・モーニングを欠いたチームのプレーオフ進出に貢献した。
2001-02シーズンからはサンアントニオ・スパーズに加わり、ディフェンスの要として2003年2005年2007年の3度の優勝に大きく貢献した。
2008年3月ニューオーリンズ・ホーネッツクリス・ポールへのファールで1試合の出場停止処分が下されるまで、500試合スターターでの連続出場記録をもつ、タフなフィジカルを持っていた。
しかし、2008-09シーズンは体力の衰えから全盛期のようなプレイができず、出場した80試合のうち僅か10試合しか先発出場しなかった。
シーズン後、カート・トーマスファブリシオ・オベルトと共にミルウォーキー・バックスへ放出されたが、バックスでのプレーを拒否したために、後日解雇された。
そして2009年9月3日、現役引退を発表した〔Bowen retires from NBA 〕。引退会見で「きっと多くの人が喜んでると思うよ」と述べている。また、いままでに意図的にダーティーなプレーをしたのは2006年3月のシアトル・スーパーソニックス戦でレイ・アレンを蹴ったプレーだけだと述べた。そしてそのプレーのことをいまでも後悔していると語った。
11月からESPNでアナリストをしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブルース・ボウエン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bruce Bowen 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.