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ブルーノ・クアドロス(Bruno Everton Quadros, 1977年2月3日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ州リオデジャネイロ出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)、ミッドフィールダー(ボランチ)。 == 来歴 == 7歳の頃にフットサルを始め、サッカーに本格的に取り組むようになる。 1997年、CRフラメンゴでプロデビューし、エスタジオ・ド・マラカナンでのプレーという目標を叶えた〔 スポーツ報知 (2007年2月5日)〕。当時のポジションはボランチ。 2005年にJリーグ・セレッソ大阪に加入〔ブルーノ クアドロス選手・ファビーニョ選手・ゼ カルロス選手獲得のお知らせ セレッソ大阪 (2005年1月22日)〕。Jリーグでのプレー経験がある代理人のジルマールや、親交のあったジーコから日本のサッカーやC大阪について詳しい情報を得ていたこともあって〔 WEBサッカーマガジン〕、早々にチームにフィット。3バックの中央に入って〔変化の予感(1/2)宮崎キャンプリポート第4回 セレッソ大阪 スポーツナビ (2005年02月13日)〕 守備陣を統率し、巧みなカバーリングで活躍。この年のJリーグ優秀選手賞にも選ばれた〔【 2005Jリーグアウォーズ 】優秀選手賞/優秀新人賞 受賞選手決定 Jリーグ (2005年12月8日)〕。2006年9月、J1第23節千葉戦でオーバーヘッドをした際に骨折し、戦線を離脱。リーグ最終戦には出場したが、チームのJ2降格を食い止められなかった。降格に伴う運営費圧縮から翌年の契約交渉が折り合わず、C大阪を退団。 守備の建て直しを図るコンサドーレ札幌から高いプロ意識〔 北海道新聞 (2007年2月7日)〕 とリーダーシップを評価され〔 日刊スポーツ (2007年1月7日)〕、2007年より札幌に移籍〔ブルーノ クアドロス選手 2007年 新加入決定のお知らせ コンサドーレ札幌 (2007年1月19日)〕。目標のフル出場〔 日刊スポーツ (2007年1月26日)〕 こそ達成できなかったものの、守備の核となり〔 WEBサッカーマガジン〕 札幌のJ2優勝・J1昇格に大きく貢献した。しかし、札幌は翌年のJ1での戦いに向けて、DFを日本人選手のみで揃える(主に攻撃陣に外国籍枠を割く)方針を採ったため、ブルーノは構想外となり〔 日刊スポーツ (2007年12月5日)〕 放出された〔ジャイアントキリングを狙う北のプロビンチャ コンサドーレ札幌の挑戦 スポーツナビ (2008年3月4日)〕。 2008年はCB陣の層が薄かった〔 東京中日スポーツ (2007年12月19日)〕FC東京からオファーを受け完全移籍した〔ブルーノクアドロス選手 FC東京へ完全移籍のお知らせ コンサドーレ札幌 (2008年1月10日)〕〔 FC東京 (2008年1月10日)〕。しかし開幕直前に肩を負傷〔 FC東京 (2008年1月29日)〕。シーズン中にも負傷がたて続き〔 FC東京 (2008年5月2日)〕〔 FC東京 (2008年7月4日)〕、10月初旬には左足底部の筋損傷を完全に治療するためにブラジルに帰国するなど〔 FC東京 (2008年10月8日)〕〔ブルーノ「年内に帰ってくる」 東京中日スポーツ (2008年10月10日)〕 出場機会は乏しかった。怪我が癒えた2009年はCBで今野泰幸とコンビを組み〔5/22(金) 5/24(日)J1リーグ戦:第13節 FC東京 vs 川崎F プレビュー Jリーグ (2009年5月22日)〕 レギュラーに定着。丁寧なビルドアップを志向するチームにあって、足元の技術の高さを発揮し〔FC東京、“魅せる”サッカーで旋風を J2で身に付けた自信とたくましさを武器に スポーツナビ (2012年3月13日)〕 配球役も担った〔【J1:第29節 F東京 vs 柏】プレビュー (archive ) J's GOAL (2009年10月17日)〕。同年のナビスコカップ決勝にもフル出場し、無失点勝利に貢献。C大阪、札幌では果たせなかったJ1でのタイトルを獲得した。敬虔なキリスト教徒であり、試合後にはチャンスを掴んだことに対し、神に祈りを伝えていた〔【ヤマザキナビスコカップ:決勝 F東京 vs 川崎F】試合終了後のブルーノ クアドロス選手(F東京)コメント J's GOAL (2009年11月3日)〕。12月に同年限りでの退団が発表された〔 FC東京 (2009年12月2日)〕。 2011年、ブラジルのCAリネンセに加入〔CAL, apresenta zagueiro Bruno Quadros CAリネンセ (2011年1月21日)〕。2012年6月、現役を引退し、リネンセの監督に就任することが発表された〔Novidades: Bruno Quadros é o novo treinador do CAL CAリネンセ (2012年6月15日)〕。2014年2月に退任〔CAリネンセ (2014年2月24日)〕〔Após derrota em casa, Linense dispensa Bruno Quadros Estadão.com (2014年2月24日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブルーノ・エベルトン・クアドロス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bruno Quadros 」があります。 スポンサード リンク
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