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ブルー・シャーク : ミニ英和和英辞書
ブルー・シャーク[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ブルー・シャーク ( リダイレクト:ダン・ミラー (プロレスラー) ) : ウィキペディア日本語版
ダン・ミラー (プロレスラー)[ちょうおん]

ダン・ミラー"Dandy" Dan Miller、本名:Daniel D. Miller1934年 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーオハイオ州フレモント出身のドイツ系アメリカ人
実兄のビル・ミラーとエド・ミラーもプロレスラー。体格および実績では兄のビルに劣るものの、NWAの主要テリトリーやWWWFなどの激戦区において、ベビーフェイスヒールの両方のポジションで活動した。
== 来歴 ==
兄のビル・ミラーの影響を受け早くからレスリングを始め、ビルと同じオハイオ州立大学でレスリング部のキャプテンも務めた。オハイオ地区のプロモーターだったアル・ハフトにスカウトされ、1950年代にデビュー。地元オハイオのMWA(ミッドウエスト・レスリング・アソシエーション)を経て、カルガリートロントジョージアなどNWAのテリトリーをベビーフェイスのポジションで転戦した。
1960年4月、日本プロレスに初来日し、レオ・ノメリーニサニー・マイヤースと共に第2回ワールド大リーグ戦に出場。6月2日に大阪府立体育館にてフランク・バロアと組み、力道山&吉村道明を破り空位となっていたアジアタッグ王座を獲得した。以降、1967年4月と1969年8月にも日本プロレスに来日している。
1960年代前半はハリー・サンプソンHarry Sampson)などの変名でAWAのリングにも出場。太平洋岸北西部でも活動し、1963年11月5日にはワシントン州タコマにてルー・テーズNWA世界ヘビー級王座に挑戦。タッグではロニー・エチソンホイッパー・ビリー・ワトソンをパートナーに、キンジ渋谷&ミツ荒川の日系悪党コンビとタイトルを争った。
1965年ヒールのポジションでニューヨークWWWFに参戦。ビル・ミラーとの兄弟タッグで活躍し、8月5日にゴリラ・モンスーン&ビル・ワットからUSタッグ王座を奪取、翌1966年2月21日にジョニー・バレンタイン&トニー・パリシに敗れるまで保持した。戴冠中の1965年11月25日には、ワシントンD.C.にてブルーノ・サンマルチノWWWF世界ヘビー級王座に挑戦している。
その後はオーストラリアに遠征し、ジム・バーネット主宰のワールド・チャンピオンシップ・レスリングにて、当時ザ・デストロイヤーと名乗っていたガイ・ミッチェルマネージャーを担当したこともある〔。
1960年代後半はベビーフェイスに戻ってデトロイトテキサスなどを転戦。デトロイトでは1967年10月14日、フレッド・カリーと組んでアル・コステロ&レイ・セント・クレアーを破り、デトロイト版のNWA世界タッグ王座を獲得。テキサスでは1968年12月10日、ダラスにてザ・スポイラーからNWAテキサス・ヘビー級王座を奪取。同地区のエースだったフリッツ・フォン・エリックともタッグを組み、1969年12月17日にスポイラー&ゲーリー・ハートを破ってNWAアメリカン・タッグ王座を獲得している。
1970年代前半はフロリダ地区エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)や中西部セントルイス・レスリング・クラブなどに出場。中西部地区では再びヒールとなり、ビル・ミラーとの兄弟タッグを再結成、NWAの総本山だったキール・オーディトリアムにてジャック・ブリスコ&ビル・ロビンソンなどのチームと対戦している。
1972年1月には国際プロレスに来日し、1月6日に島原にてストロング小林IWA世界ヘビー級王座に挑戦。1月28日には大田区体育館にて、カーティス・イヤウケアと組んでサンダー杉山&ラッシャー木村IWA世界タッグ王座に挑戦した〔。翌1973年8月には全日本プロレスに参戦。1976年2月の全日本への再来日では、前年に公開され大ヒットした映画『ジョーズ』にあやかり、口を開けたをイメージしたデザインのマスクをかぶり、ブルー・シャークThe Blue Shark)なる覆面レスラーに変身〔。ザ・デストロイヤー覆面世界一決定十番勝負の9戦目の相手となり、2月21日の後楽園ホールでのシリーズ開幕戦において、デストロイヤーの保持していたPWF認定USヘビー級王座に挑戦した。
1970年代中盤からはノースカロライナNWAミッドアトランティック地区や、ミッドサウスのオクラホマルイジアナを興行拠点とするNWAトライステート地区にて活動。ミッドアトランティックでは1974年2月27日、トーナメントの決勝でオレイ・アンダーソンを下しTV王座の初代王者となった。トライステートでは1975年5月14日、スカンドル・アクバから北米ヘビー王座を奪取している。
以降、キャリア晩年の1970年代末までミッドアトランティック地区のアンダーカードに出場。ベテランの中堅ベビーフェイスとして、ブルート・バーナードキム・ドクラリー・シャープクラッシャー・ブラックウェルラシアン・ストンパースコット・アーウィンディック・マードックらと対戦。1976年7月16日には、海外修行中だった新日本プロレスのドクター・フジナミこと藤波辰巳と組み、後にWWFで活躍する若手時代のランディ・ポッフォ&ラニー・ポッフォと対戦している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダン・ミラー (プロレスラー)」の詳細全文を読む




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